2006年03月21日(火)
晴れたり曇ったり、時には雨に打たれたり


 涼茶の話が途中なのですが、今日観てきた公演話をさせてください。
 で、涼さんと言えば今日の淑女が金髪のショートボブでこれがめっさかわいかったー!(思わずうはぁと声が漏れました)。茶会で言っていた「鬘毎にワタさんが命名して耳元で囁いている」のなら涼さん自ら鬘毎にキャラ立てしていけばいいのになーと思っております(かのマレーネ先輩の故事にちなんで)(故事言うな)。とりあえず私的判定ですと、金髪ショートボブの淑女は「こあくまちゃん」って感じです(ええ?)。ちなみに日曜日に見た時には金髪ロングだったんですが、そちらはえらく清楚に見えました。ワタさんとの絡みはパワーアップして、目線がねっとりと絡み合っていたんですが、そんな風にまぐあいつつも「まだあげない(はあと)」みたいな?(いやカラダはまだ許してないと思ったんだよ)(六実さんは宝塚で何を見てきているんだろうね)。
 という訳で、神様おねがい涼淑女のカツラをコンプさせてくださーい。


 話がそれたところで、本題に入ります。
 その前に、一言。「もー!しぃちゃんてばー!」

 (いいから本題に入れ)


[天文部業務日誌]

 というわけで、立樹アンドレ2ラウンド目(二度目のアンドレ)にして立樹アンドレマイ楽。
 日曜日に見たときにもかなり愕然としたんですが、1ラウンド目と全然ちがうやないですかー!立樹アンドレなのに影が出ていた。文法的に(違)アンドレに影が掛かるのは正しいのだけれど立樹に影はかからないので(真顔)非常に居心地の悪いアンドレでした。いやアンドレとしてはこっちが正しいんだろうけれど、でも「小石につまづいてどうする!」が俄然おかしな場面になってましたな……。でも白ばらの人銀橋ソロは良かったわけだから、やっぱりアンドレとしては正しいのか?じゃあそもそも脚本がダメなのか?いや脚本がダメなのは今に始まったことじゃないし……と悶々としてしまいました(むっさんウザい)。
 あの私の中で「新しいアンドレ」と大絶賛に祭り上げた椎ドレはどこにもいなかった(お前はもういないのか)。いや、1ラウンド目のアンドレの役作りが好きだっただけにね。太陽に雲がかかった分、なんか太陽の魅力もそがれちゃった気がしてね、太陽が縮小した気がしてね……わかっているよ、こっちがほんとは正しいって。

 が、

 最後のバスティーユの場面の死に際で、2ラウンド目のアンドレ(以下アンドレBと称します)が俄然アリになりました。「命だけは大切に」が、最後までオスカルの事しか考えていない1ラウンド目アンドレ(以下アンドレAとします)に対して、アンドレBは「自分の死」がオスカルと自分自身と事として捉えていたような。ちなみにアンドレAは「自分の死」すら死として自覚していないようなほどにオスカルの事ばかり考えているアンドレでした。
 アンドレAの時は、その天文学的な大きさでそれこそ自分の「男」すら越えて(ええ?)オスカルを包み込んでいたアンドレが、今宵一夜で初めて「男」として、それまで同調同化していたオスカルとの一個の個体として対面し、それ故にバスティーユでオスカルが一個の人間として散っていった、という解釈だったんですが
 アンドレBの場合は、天文学的な大きさで包む事なく影として寄り添っていた。けれども今宵一夜でひとつになった時、影と光が同化した、影でもなく光でもなく、オスカルとアンドレは本当に本当に一つになったんだなぁと。
 だからアンドレBの「命だけは大切に」というのが、自分の事をさておきオスカルだけに思いを向けていたアンドレAとは違い、「自分の死」を「自分たちの死」としていたように見えたんです。なぜならば、アンドレはオスカルでオスカルはアンドレだから、ふたりはひとつだから。
 今日はオスカルの「お前はもういないのか」がものすごくぐわんとキタんですね。今、トウコオスカルがどんどんテンション上げていっているせいもあるかと思うのですが、その「いない」という喪失感がオスカル自身の中にあるというか。
 原作でオスカルがアンドレの死に対して「わたしも死んだ」というところがあるんですが、まさにあの場面が今回のアンドレBとオスカルにつながります(と、同時に原作を読んだ当初「影を失った光は存在しない」という意味でアンドレの喪失感を感じていたんですが、じつはそうじゃなくて「今宵一夜」以後、ほんとうにオスカルとアンドレはひとつになっていた、と原作の解釈すら違って見えてきました)。
 オスカルの中に存在したアンドレB。
 オスカルの外に存在した(最初はその中に含まれる形で、後にぴたりと並び立つ形で)アンドレA。
 最初にアンドレAとアンドレB全然違う!と愕然としたのも当然、だって本当に違う。その立ち位置からして違うんだ、と。最後の最後で気付いたわけです。思わずそれを再検証する為にサバキ狙ってダブルヘッダーしようかとも思ったんですが、さすがに辞めておきました。


 えーっと、何言っているかわからないと思うんですが、とりあえず「六実さん的には納得できたらしい」と思ってもらえればいいと思います。


 どうしてこの人を語るのに私はこんなに解釈とか解釈とか解釈とかをしてしまうのでしょうか?(ex天文部)でもその「観る側の(つうかむっさんの)解釈を必要としてしまう立樹遥」が、わかりにくいとか、舞台人として拙いとか、そういう風には思わないんです。でも役者カウントでもないです。こんなに私に解釈をさせてしまう立樹遥さん「もー!しぃちゃんてばー!」とも思うのですが、多分それは直訳すると大好きって事なんだと思います。しぃちゃんの持ち味というか、舞台上の太陽のはたらきとかうごきとか、ほんと興味深い、ほんとおもしろい。もっとわかりやすくこれを表現できればいんですが、そんな感じで今年度の気象庁活動を終えたいと思います(無理矢理閉めたな)。



[大真当番日誌]

・今日は前髪プレイデーでした(何それ)。いや最近割と、そういうビジュアルに凝りはじめてきたなぁと密かに思っているんですがどうでしょうか?(縦割り学級会議題)。やんちゃというか試行錯誤というか、いや単に暇だからか?(禁句)
 そんな前髪プレイの中で、村の男が洗いざらしのバサリズムちっくな前髪で、うっかり萌えてしまいました。ひ、久しぶりに萌え前髪きましたよ!でも貴族の場面の前髪は「意味がわからない」ものでしたし(笑)、薔薇タンではリーゼントから一本だけ触覚が生えてました(笑)。あれ、わざとだよね?偶然じゃああんな立派な触覚生えないよね?(でも踊っているうちに全部ばっさりイイ感じ崩れてきたんで、あ、これも計算か?と思ったり)。そんな前髪プレイデーでした。でも前にも言いましたが、なんだかんだでおじさまリーゼントが一番綺麗で似合うと思います、というか似合うようになってきた(盲目)(繰り返し言わなくていいから)。

・そんな大真くんの本日のかけごえは「しゅんぶーん!」でした(多分)。いや、最初何言っているかわからなかったんですが、確か「さ行」から始まっていたから変っているなぁと思って……「はっ!今日春分の日だ!」(腹抱え)
 ところでこの間、ここの場面でようやくしぃちゃんを観たんですが……ナニ、アレ?フツーにカッコいいじゃないか!(ジャンプスーツが良く似合う)えー、この場面てオモシロカッコいい場面じゃなかったの?しぃちゃんズールーイー!(ちなみに明石も普通にカッコいい判定)

・今日の宮廷貴族小芝居は終始「フェルゼンを目の敵」にしていて面白かったです。プロバンス伯爵に王妃の事を揶揄された時に「はっ……あのことか」って笑ってた(震)。だから陛下の「困る」発言にも「はぁ?何言ってんの?」な顔してました。どっかでまた感情移入系に変るかなあと思ってみていたんですが、終始フェルゼンを敵視、というかライバル視?……きっとフェルゼンが来る前は彼が宮廷で浮名を流していて、そこに来たフェルゼンを王妃とのスキャンダルという最大の浮名を流した男として、妙な対抗心を燃やしていたんじゃないかと。その浮名を「真実の愛」としては、その影でどれほどフェルゼンが苦しんでいたか、彼はまだそのことには気付かない。後に彼の心を焦がす恋に出会った時、その時初めてあの時のフェルゼンの言葉の意味を理解する。「負けたよ、フェルゼン君……」

 六実さんてほんとしあわせなひとだね(もう君なんでもいいんじゃん)(四足で食べないのはテーブルと椅子だけという中国人並の妄想食欲)。





BACK  INDEX   NEXT