| 2005年02月16日(水) | ||
| 王家に捧ぐマシンガン2 | ||
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その前に。 [けいとさんはだれのもの(ええ?)] 今朝の地震すごかったですね。さすがの私も目が覚めました。せっかく恵斗さんの夢をみていたのに(ええ?)(どんな夢かは覚えていない)。 昨日のテキストを読み返しながら、オフに対してなら「恵斗さん」呼びできるなぁと思いました(いや、読み返すならそこじゃなくてもっと後ろ読んで反省しろ)。いや待てよ?もしかして私の恵斗さん呼びは「呉服屋の若旦那」ドリームに対しての「恵斗さん」呼びか?(笑) そんな事を考えていたら、「けーと君」呼びなロムっ子ちゃんから伝書鳩をいただきました。「けーと君」か!いいなぁ、高校生カップルな彼女が呼ぶみたいだなぁ。「けーと君、おそーい!」「けーと君なんてキライ!」……(むっさん帰って来い)。 とはいえ私のなかのデフォルト呼びはやはり「おかっち」です。というか私最初の頃は「おかっち」って本名から来ているんだとずっと思っていました。芸名苗字が思い出せないときに「えーっと『岡恵斗』だっけ?」なカンジで(違和感ない)(笑)。芸名からでも本名からでもない「おかっち」て(笑)。 本気でおかっちデルタに触れたい今日この頃です。 プレトーク終了。 本題に入ります。王家に捧ぐマシンガンその2。 本日も絶好調に長文上等。帰るなら今ですから。 ===== 一度目の銅鑼(予防線と言いたいらしい) ===== ===== 二度目の銅鑼(予防線と言いたいらしい) ===== ===== 三度目の銅鑼(予防線と言いたいらしい) ===== [おおエチオピア] エチオピア陣の話を。 エチオピアが滅んだ悲劇は、三度目の銅鑼の後のエジプトの猛攻故ではなく、最初にエチオピアが破れた(物語の冒頭)故なんだと思いました。一番最初に祖国を、大地を失った時、それぞれにとってエチオピアとは何であるかが明確になって、そのすれ違いがエチオピア崩壊に繋がっていったんじゃないかなぁと(本日も絶好調に意味不明です)。 アモナスロにとってエチオピアは「自分を頂点とする組織」であり、大地ではなかった。 ウバルドにとってエチオピアは「家族」であり、大地ではなかった。 アイーダにとってエチオピアは「大地」であったけれども、そこにアイーダはいなくなった。 そんな感じ?(わかんないよ!) 実は誰もエチオピアという「大地」を求めていなかった(求めなくなった)というのが、一番の崩壊の原因だったんじゃないだろうかと思うわけです。 [我々という概念] というわけで真飛ウバルトの話に続けます。 真飛ウバルトをきっちり観ていたかというと非常に自信がないのですが、こんな事を言ったら「あんたどこみていたのよう!」と怒られそうな気もするんですが、私なりに感じたことを書いて置きます(厳重に予防線)。 真飛ウバルトからは猛烈に「長兄」の匂いがしました。ものすごく「血縁」というか、父親のアモナスロがいて、妹のアイーダがいて、そういう中にいるウバルドです。ウバルドにとってのエチオピアは「家族」だと言ったのですが、この家族には「国民」をも含めていいと思います。大地ではなく、人への愛情。国とは人ではないのか(@バルセロナ)。そんな台詞を言わせたいウバルドでした。 比較するのはアレなんですが、ケロちゃんのウバルドからは「テロリスト」の匂いがして、それが最後の「俺たちは神に許されている」に繋がっていった。大真くんの新公ウバルドからは「王子」の匂いがして、それでも次第に狂気をはらみ始めて「俺たちは神に許されている」に繋がっていった。でも真飛ウバルトからはテロも狂気も感じられなかった。ぶっちゃけ「神に許されている」に繋がらなかったんです。 ところでここの台詞が中日で「俺たちは」が「我々に」変わった点なんですが、キムシンが真飛ウバルドを見て「俺たちって感じじゃない、もっと大きい感じがするから我々、だな」という事で変更になったんだそうです(茶会でそう言っていたと教えてもらいました)。でも私はこの「我々」には真飛ウバルドが入っていない気がしたんですよ。そう思わないと、そこまでのウバルトと繋がらなかったんですよ。カマンテサウフェを煽動する為に「我々は神に許されている」なんだと。 で、ここで昨日の自論を持ってきます。「大地の国、エチオピア」「神の国、エジプト」。エチオピアが大地からの収穫による農耕国家ならば、エジプトは神(ラー)の思想に基づく宗教国家です。神という思想が国を支配している国家です。これはエチオピアにはない概念だと思うんですよね(エチオピアにも神はあっても思想とまではなっていないというか)。だけど真飛ウバルドはファラオを暗殺する為にそれまでエチオピアになかった『神』という理論を持ち出してきたんですよ、それは敵の概念であり、歴史的に先の概念であり、そしてエチオピアが弥生時代から古墳時代(いや飛鳥時代まで飛ぶか)へ歴史の動いた瞬間であり(その例え全然意味がわからない)。 昨日の繰り返しになりますが、歴史の流れ(黎明期)は「農耕による定住」→「大地からの収穫差による貧富の差」→「そこから生まれる争い」→「やがて強い者が勝利し国家を形成する」→「国家を治めるのに必要なもの」→「財力・武力、そして思想(宗教)」だと思っているので、そう思うと真飛ウバルトが「我々は神に許されている」と言うのは次の歴史(ステージ)への成熟というか、それもまた新しい概念の誕生であったのではないかと。 エジプトに(歴史的な進捗を超えて)追いつこうとしているエチオピア……ひとり客席で身悶えました。繋がった、(私的には)繋がったー!歴史は繰り返すというかこうやって辿って、踏襲されていくものなのかと愕然とすらしました(そろそろ六実さんが思想的にヤバイ人に思われそうですなぁ)。 ま、そんな私の歴史論はさておきまして、そこで「我々は神に許されている」と敵の概念を持ち出し、あるいは歴史の次の概念にたどりついた真飛ウバルドが、本当に哀しくて哀しくて仕方なかったんです。そこまでしなくてはならなかったのか、そこまでこの人は追い込まれたのか、次の歴史を切り開くほどに(うわぁ)。 真飛ウバルドがあの辺りでどこまで正気だったかは、一生懸命見たんですが(ごめんちょっと嘘)わからなかったんです。いっそどこかで狂っている(狂った)と思えたほうが(私が)見ていて楽だったんですが、やっぱり最後まであの人正気だったんじゃないかしら。でも完全に自分を捨てていたというか、まさに歴史の捨石というか。 そんな風に真飛ウバルドが駆け抜けたのも、彼が「長兄」、「嫡男」だったから。真飛ウバルドを見ていると、いかに家族を愛しているかわかったし、それゆえに父親と共にエジプトを倒すために立ち向かっていった。 真飛ウバルドから「家族」を感じたのは、アイーダへの眼差しからです。アイーダをなじったり責めたりしている時ですら、アイーダへの兄としての愛があったなぁと。自分では理解できない概念にとらわれた妹、家族をなんとかして元に戻そうとしているように見えたんです。大地を失ってバラバラになった家族の絆を再び結ぼうとしているように見えたんです。一家離散をどうにかして防ごうとしているような。「一家?」「離散?」(そんなタックを観た人にしかわからんようなネタをここでふらないでください)。 そうやってエチオピアを取り戻そうとしているのに、王家3人の想いは全く別の方に向いてしまっていた。ウバルドは父王・アモナスロが取り戻そうとしているのがエチオピアという名の「自分を頂点とした組織」にすぎないのだと気づいていたのかもしれない。けれども彼はその父親と「エチオピアを取り戻そう」と疾走する。彼は「長兄」だから。「長兄」だから家長に従い、「長兄」だから妹を見捨てる事ができない、そこには血縁という血のつながりがあるから。 真飛さんへのドリー夢は割と誰にも理解されない方向で誰にも負けないという自負があるのですが(お前ひっこめ!)、そんな私のドリー夢をもう少し語らせてもらうと、真飛ウバルドなら、エチオピアの大地を失っても新たな大地を求めてそこにまた「家族」を作ることが出来たんじゃないかと思っています。国とは、人だから。真飛ウバルドはそんな人だったんだと思っています(ドリー夢終了)(つうかどこからドリー夢だったのかわかんないよ)。 というわけで、私の中の真飛ウバルドはかわいそうでかわいそうでかわいそうなひとです。救われん。なので、フィナーレの黄色変わり燕尾のところは、ようやく開放されたウバルド兄さんと思って観ていました。そう思わなくちゃ救われん。本公演の時は、あそこの歌詞がいかにもキムシンテイスト満載で鼻白んでいたんですが(半笑)、中日王家にどすーんとのめりこめた結果、ここの歌詞がものすごく素直に聞けたんです。ウバルド兄さんが言うならそうだよね、って思えたんです。ぐわーっとクライマックスがあった後に、この場面って、実はものすごく癒しというか鎮静効果のある場面なんだなぁと思いました。いや、本公演で「グラインドが!」と騒いでいた自分はちょっと不謹慎だったのかと思ったりな!(いやあ、それはそれは非常に自分らしいし、何よりも本公演はそこまで入れ込めなかったからなぁ)。 というかココの真飛さんが黒いのに真っ白でね……(涙)。それも大きかったかなぁと。 むっさんはまとぶさんのことがだいすきだからここまでかたるんだよ?(誰に言っているんだ)(いやあちこちに) さらにエチオピアトーク、私の大好きなエチオピア女子チームの話を。 やっぱり王家で一番ドラマチックなのは、彼女らなんだと思います。もうだめ、むっさん「お前は奴隷」でも「おおエチオピア」でも「エチオピアの滅亡」でも泣いていたもんなー。 以前何かで読んだんですが「結婚して子供を産むという女性の方がドラマになりやすい、だから朝の連続ドラマの主人公はいつも女性」と。なんだかそれを思い出す感じです(さっぱりです)。限りない大地への愛、望郷の想い、そして命を育む女性達。本公演の時に何で女子チームにだけ名前があるのよー(SS書き難いったらありゃしない)(そこかよ!)と思っていたのですが、それも至極当然だったのかなぁと。脚本的に外せない(台詞も場面もある)という意味合いもあるとは思うのですが、エチオピアチーム男子がガッサリ削られても女子チームが2名の欠員だけだったのも、そういうドラマを埋め込みたかったんじゃないか?と解釈したら、割とキムシンと仲良くなれそうな気がしてきました(ええ?)。 [おおエチオピア:その他雑感] ・本公演に比べてカマンテ、サウフェの個性というか色が薄くなっていたのにびっくりしました。でもそれが真飛ウバルドを頂点としたエチオピア少年隊(そんなのイヤだ)としてはおさまりがよかったなぁというのが、直感的な感想です。 ・ゆかりカマンテ。いやぁ、骨太になってきたなぁ。これ以上骨太になったら、本人のビジュアルとものすごい活断層を作り出すんじゃないかと思ったぐらいです。 で、ゆかり君のカマンテからは、戦士の匂いはしなかったんです。私の中では文官カウント、背景に本棚が見えました(ええ?)。けれども、本当はすごく熱い人なんだなぁと、むちゃくちゃ熱かった。もし戦いがおこらなければ、この人はその自分の中にある「ものすごい熱さ」に気づかずに平穏無事に幸せに暮らして死んでいったんだろうと思うんですが、戦いが始まり、彼は自分の中の「熱」に気づいてしまった。けれども戦士ではないから、それを開放する術を知らないんですよ(精神的にも肉体的にも)。そのやり場の無い憤りも、熱い怒りも、どうやって開放していいかわからない。そんな熱を常に孕んでいるように見えました。……大きな声ではいえませんが、そんなゆかり君のカマンテが「男役・綺華れい」の姿にまんまかぶったのは内緒です。 ・麻尋サウフェ。彼はただのロリショタでもないどころか、受でもないと思いました(ええ?)。でもサウフェとしてはちょっとナシかな……何よりもアイーダへの憧憬が見えなかった(私には)のがちょっと違和感。涼サウフェも子供だと思ったんですが、麻尋サウフェは全然違う方に子供だったなぁ。なんというかものすごく暴力的、ストリートチルドレンみたいな狂暴さが伺えました。 麻尋しゅんちゃんはあの学年であのビジュアルなのに、男役という荒削りの刀をしっちゃっかめっちゃか振り回しているように見えます。それはそれでものすごく評価。もう少しして、その刀をちゃんと砥いで鞘に収めることが出来たら、すごい男役になるだろうなぁと思っています。 ・そんな風に「熱く」「暴力的な」ふたりを御していた真飛ウバルド。改めてそれを誇示する場面はなかったけれど、そのふたりを従えているのはきっと真飛ウバルドの人格というか、「家族愛」なんだろうなぁと。そしてそんな「熱く」「暴力的な」ふたりを神の思想で完全に煽り立てた真飛ウバルド。私の中でこの3人はそんなバランス感です。 ・これだけ言っているので、エチオピア女子チームの話をもっとしたいのですが、9割方毬乃ゆいちゃんの記憶で埋まっています。どうしよう! 本当に話がくどくてすみません。感じたことを伝えようとすると、つい、これだけじゃ足りないような気がして無駄に言葉やたとえを重ねがちです。 「むっさんなんか生きたまま地下牢に放り込まれてしまえ!」(そうだそうだ) 次回、王家に捧ぐマシンガンは、エジプトチームの話をします(まだやるのー?) |
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