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2023年09月05日(火) 痛みと闘っていた数日を思い出し

入院17日、術後15日となりました。私は寝る時と食事と映画を見る時以外は病室にいたり、ベットの上にいないように心がけています。今日は朝に20分間病棟をウォーキングし、リハビリを40分間、リハビリのあと10分ウォーキングしました。リハビリでは外を歩きました。横断歩道を渡ったりと少し長い距離を歩きました。晴れていて暑かったのですが、その暑さがとても心地よかったです。今日はシャワーを浴びる事が出来ました。あの痛みや苦しみの経験があったから、普通の事が普通ではなくなり、何をしても幸せと感じるようになりました。そこで今日は私が痛みと闘っていた数日の事を改めて思い出して見ようと思います。先ずは手術室で目を覚ました。18時ぐらいだったと思います。手術が終わったんだなと言う事は足と腰の痛みと共に直ぐに分かりました。ただ頭はぼーっとしてあまり考える事は出来ない状態でした。手術が終わったんだなと書きましたが、正確には「生きていたんだな」と思いました。そのままHCU(高度治療室)に運ばれ、身体には点滴の管が3本、尿の管が入り、心電図の電極が胸の辺りに沢山付けられていて、酸素マスクをし、右の指には酸素濃度計が付けられ、足は足を固定するパットの上に乗せられて身体はピクリとも動かせません。足は局部麻酔がしてあり足の感覚はあまりありません。頭がぼーっとしている、吐気、足と腰の痛み、身体に力が入らない、そんな状態でした。手には痛み止めのボタンとナースコールのボタンをずっと握っていました。痛み止めのボタンは押すと痛み止めが出るのですが、あまり効きません。そして押しても30分に1回しか痛み止めは出ないようになっています。血圧が低いので病室で輸血も行いました。身体がとても暑く、息苦しく、頭を上げたいのですが血圧が低いため上げる事が出来ず、強い痛み止めが使えず、足を下に下ろせず。身体を動かす事が出来ず、そして夜中からは喉の乾きの苦しさも加わって来ました。口の中が完全に乾いている状態がずっと続いていました。血圧が上がって来たので夜中の12時頃に少し強い痛み止めを打てるようになりましたが、それは全然効きませんでした。朝の6時に水が飲めるようになり、8時に朝食でしたがほぼ食べる事は出来ませんでした。でも食べないとロキソニンの痛み止めを飲めないので、痛みを和らげたいために、必死におかゆだけ食べてロキソニンを飲みました。でも痛みは全然変わりませんでした。9時に一般病棟に戻るので心電図の電極、酸素マスク、点滴の管が1本、身体から外れました。一般病棟に戻りここで足を乗せていたパットから足を外し、足を下に下ろす事や頭を上げる事や身体を動かす事が出来るようになりました。ここからは自由に飲み物を飲んだり、スマホを見たりDVDを見たり出来るようになりました。でもここからも次の日のお昼ぐらいまで痛みとの闘いとなりました。ずっと机の上に突っ伏していました。気を紛らわすため、身体をうちわで仰いだり、腰をさすったり、飲み物を飲んだり、スマホでブログや文章を書いたり、家族の写真を見たり、していました。月曜日、火曜日は一睡も出来ませんでした。点滴や尿の管が付いているため基本ベットの上から動けません。水曜日のお昼の検診で痛みの酷さを相談し、昼過ぎに1番強い点滴の痛み止めを使ってもらいました。ここからは徐々に痛みが減って行きました。でも水曜日の夜もほぼ眠る事は出来ませんでした。木曜日は痛みから完全に開放され楽になりました。手術後の痛みとの闘いはこんな感じでした。痛みや苦しみとの闘いの中で自分を1番支えてくれたのは家族への愛情でした。家族の存在がなければ私は痛みに打ち克つ事は出来なかったかもしれません。痛みとの闘いは弱い自分との闘いでした。弱い自分の本性を見ました。その時に自分を支えてくれ、自分を強い気持ちにさせてくれたのが妻と長男と次男の存在でした。一緒にいなくても妻と長男と次男がこの世に存在している事だけで私に力を与えてくれます。そしてもう1つ痛みと戦う中で感じた事は自分に関わってくれた方々への感謝の気持でした。愛情と感謝が私の支えとなってくれました。心が頑張って身体を支えてくれました。その原動力が愛情と感謝と言う力でした。人間の本性は本当に弱いけれど、愛情と感謝が人を強くしてくれるのだと思いました。結局は自分のためなのですが、自分のためだけなら頑張れない事も愛する人のためなら頑張れると言う事です。だから自分自分と言う人は自分の持っている60%の力を100%と思い込み、自分の最大限頑張っているんだけど結局60%しか頑張れていないと言う感じて、愛する人のためと思って頑張っている人は自分の限界を大幅に超え、自分の力を120%出せてしまうと言う感じだと私は思います。これから亡くなる人や戦争に行く人が最後に残す言葉は誰かに対する愛情と感謝だと言う事が、私も今回の事で身を持って知りました。痛みと闘っている時に、亡くなってしまった前橋さんの言葉を思い出しました。癌になったのが旦那さんや息子さんではなく、自分で良かったと前橋さんは言いました。その言葉の意味が私は痛みと闘いながら、本当にそうだなと思いました。私は死にたくないです。もっともっと生きたいです。でも妻や長男や次男の命が自分の命と交換に助かると言われたら、迷わず自分を選ぶと思いますし、愛する人にこの苦しみを感じさせたくないと思わない人はいないと思います。痛みと苦しみの中で眠れない時間に本当にいろんな事を思い、いろんな事を感じ、いろんな事を考えました。この体験を絶対に無駄にしないように生きて行こうと思います。


kanno

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