DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
今日で入院15日です。1ヶ月の半分を病院で過ごしたという事になります。こんなに長く入院したのは17歳の時に膝を手術した時以来です。その時に入院した病院は外のコンビニにも買物に行けましたし、病院内を何処でも自由に行く事が出来たので、何か自由にやっていました。屋上で稽古したり、友達もたくさん面会に来てくれたり、もう時効と言う事で話せば、私がどうしてもびっくりドンキーでハンバーグが食べたいと言うと友達が車でびっくりドンキーに連れて行ってくれました。時代もあってその辺が緩かったのか?若さもあったのか?本当に自由にやっていました。その病院に入院した時の事で凄く覚えている事があります。1つは手術後先生の臨床を受けて内側側副靱帯の完全断裂と前十字靭帯断裂の部分断裂で手術が上手く行ったとは言え空手の試合に出ると言う事は、再断裂する可能性が高いから止めたほうが良いと言われました。私はその話を聞いても絶対に空手の試合に出るんだと思いましたし、自分なら絶対に出来るという自信も何故かありました。私の右足にはその時のチタン製のピンが今でも入っています。もう身体の一部になっているので取れないそうです。私はその日の夜、病院の屋上で基本稽古の手技と拳立てをやりました。拳立てをしながら涙が出てきました。絶対に空手をやるという事を自分に知らしめるために稽古をしたんだと思います。稽古をしてこれからどうなるか分からない不安と闘っていたんだと思います。稽古をする事で弱い自分と闘っていたんだと思います。もう1つは入院中に辰吉丈一郎選手の試合を公共スペースのTVで見た事です。私はその時、自分もいつか空手の試合でTVに出て見せるとその時一緒にいた友達に言いました。それから10年後、本当に私は空手の試合でTVに出る事が出来ました。ブラウン管の中にいる自分を見て、その時の事を思い出しました。今回入院している病院は自分の入院している病棟以外は何処にも行けないので、その点は本当に暇ですが、私も50歳になって落ち着いたのか?本を読んだり映画を見たりして、ちゃんとルールを守ったうえで時間を有効利用しています。17歳の時も入院中に本や雑誌を読みました。影武者徳川家康と格闘技通信とパワー空手を読んでいました。今回は壬生義士伝を読み終え輪違屋糸里を読んでいます。これを読み終えたらマイク・タイソン著の真相を読もうと思っています。今日は死と言う事について考えていました。死と言うものを今回の入院でとても近い物に感じましたし、痛みや苦しみと闘っていた時や自分で自分の身体を動かす事が出来ないためトイレの事など介護を受けている時に、死ぬ時もこんな感じなんだろうな?!と思いました。でもその苦しみの中でたぶん家族や自分に関わってくれた人達への愛情や感謝を感じているだろうと思います。死ぬと言う事から逃げる事は出来ません。死ぬと言う事は生きて行く先に必ずある物で、この世に生を受けた以上、それから逃げる事は出来ません。どんな人にも唯一、平等に訪れる物です。死ぬと言う事を深く考えて行くと、じゃあどう生きるか?と言う事にたどり着きます。死というものは生きる事の終着点で、生と死は分けるものではなく、生の最後の一部なのかもしれません。だから死にたどり着くまでにどう生きて行くか?それを考える事が死を考える事になります。私は死にたどり着くまでにどう生きて行くか?を毎日考えています。今回の手術での事でそうですが、同じ病棟に入院している方々を見る事で、死を身近な物として感じる事が出来ています。死を間近に意識して、これから自分の人生の先にある死までどう生きてそこに辿り着こうか?そう真剣に考えた時に私の頭に浮かんだ事はとてもシンプルでした。もう欲しい物もやりたい事も行きたいところもありません。私はもうそれを手に入れていますから、それをいかに大切に生きて行くか?です。極真空手と道場と家族を大切に一生懸命に真摯に生きて行きたいと思います。
kanno
|