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2022年04月12日(火) 最悪の結果がのちに幸せを運ぶ

2005年11月に行われた第37回全日本空手道選手権大会に私は出場しました。私はその3ヶ月前の8月に行われた茨城県大会重量級で優勝していました。しかもその年の4月の千葉県大会の決勝戦で負けた若手のホープと再戦して勝つ事が出来ての優勝でした。そこから3ヶ月間とても良い内容の稽古が出来て試合当日も絶好調でした。実際、1回戦の試合中も身体の動きが良く、試合の序盤から中盤まで私の技が思うように相手に入り、相手の技は全部避けるか、捌くか、受ける事が出来ていました。しかしラスト30秒でラッシュをかけようとして打ち合い始めた時に、相手に右膝の内側を蹴られました。その瞬間に膝の内側からパチッと言う音が聞こえました。そして足に力が入らなくなりました。相手にラッシュをかけられ攻撃されたのに対して、私は右足をかばいながら反撃するのが精一杯で一方的に技を受けてしまいました。結果は5-0の判定負け完敗でした。私は開始戦に戻り挨拶をしたのですが、そこで足が動かなくなり、歩く事が出来なくなりました。主審に肩を貸して頂き試合場を降りると言う恥を晒してしまいました。そのまま医務室に運ばれ、タクシーで病院へ行きMRIを撮ると右膝の内側側副靱帯を断裂していました。診断が終わり、会場の東京体育館に戻るため松葉杖をつきながら病院の外へ出ると、試合を見に来てくれていた私の友達と私の妻がいました。私の妻と書きましたが、その時は私と妻はただの友達でした。しかも10歳も歳が離れた友達なので、その時は将来結婚をすると思うどころか付き合うことになるなんて思っていませんし、妻が私を好きになってくれるなんて夢にも思っていませんでした。友達皆んなが私に慰めや励ましの言葉をかけるなか、妻は後ろの方でずっと黙って立っていました。妻は私と目が合うと何か思いのある感じの目をしましたが、何も言いませんでした。「じゃあまたね!年末に福島で会おうね!」という感じの言葉を交わし、友達皆んなと別れました。これはのちに妻から聞いたことなのですが、妻は私の試合を見て「自分も頑張って生きなくては」と思ってくれたそうです。そして妻はその年の年末に福島で会った時に自分の環境を大きく変えた事を私に話しました。その試合は私にとって本当に最悪の結果でしたが、妻が私の試合を見て何かを感じてくれたのならば、その試合は私にとって人生最高の試合だったのかもしれません。その試合で私の未来が変わったのかもしれません。もしかしたらその試合が無ければ、その2年後に妻と付き合うことは無かったのかもしれません。私はこう思います。何かを頑張ってそれが失敗しようと、頑張った事がマイナスになる事は絶対に無いと思います。一生懸命に頑張って一歩一歩進んで行けば、いつか何かに繋がると思います。どこかで誰かが見ていてくれると思います。それを妻が私に教えてくれました。感謝しています。


kanno

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