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2020年09月05日(土) 世界一喧嘩が強い男になりたい!

「喧嘩が強くなりたい」そう思って極真空手を始めました。私の十代の頃は、学校でも喧嘩が強い人が皆んなから尊敬されたし、喧嘩が強い人がカッコ良かったし、喧嘩が強い人が女の子にもモテました。その事もあり、喧嘩が強い。それが私の中での価値観で1番の物となりました。その頃の私は「喧嘩なら誰にも絶対に負けない!」くらいの自信を持っていました。そんな時にテレビで極真空手の第4回世界大会を見ました。それを見た瞬間の衝撃は一生忘れられません。人種も身長も体重も関係なく真白な道着を着て殴り合い蹴り合う姿、そして壮絶な中にある華麗な技、試合が終われば勝敗に拘らず、勝っても負けても、お互いを称え合い、凛とした姿で颯爽と試合場を降りる選手の姿、そしてそれを賞賛する観客の拍手や歓声。私はこんな世界があるんだ!これをやって見たい!そして世界一喧嘩が強い男になりたい!そう思って極真空手を始めました。そう思って始めた極真空手だったので十代二十代の頃は、世界一喧嘩が強い男になれるのならば、家も車もいらないと思って稽古に打ち込んで来ました。空手以外は自分のやりたい事を全て犠牲にして来ました。本当に本当に自分の人生のあらゆる物を犠牲にして極真空手に自分の人生を賭けて来ました。福島にいれば仲間達が沢山いて自分が王様のようにしていられたし、父の会社を継げばお金に困る事もなく生活出来たと思います。それを全て捨てて東京に来ました。特に20代の頃は苦しかったです。同じ年代の人達が働くようになり、給料も20万ぐらいはもらうようになった時に、自分は5万〜7万で生活していました。皆んなが結婚していく中で、自分はお金もないし、結婚などしたら空手が出来なくなると結婚する事などできませんでした。世界一喧嘩が強い男になれるのならば何もいらない!本当にそう思っていました。だからその頃、一緒に稽古をした先輩や後輩と会ってお酒を飲むと話は一晩中尽きません。この前も鈴木支部長と昔一緒に稽古をした先輩と一緒に飲みましたが、本当にいくら話しても話は尽きませんでした。本当に楽しかったです。まさしく梁山泊のようなカッコイイ男達が割拠して集まり群がっていました。他の格闘技をやっていたとか、何々県チャンピオンだとか、地元で番長だった、なんて男が全国から集まって来ていました。そんな中でしのぎを削って皆んなで切磋琢磨して行くのだから、そりゃあチャンピオンも生まれます。本当に毎日が戦いで、毎日が事件で、毎日がお祭りで修学旅行的な感じでした。それが私の極真空手でした。こんな事言ったら人に笑われるかもしれませんが、これからも世界一喧嘩が強い男になりたい!その夢を追いかけて行きたいと思います。


kanno

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