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2020年04月14日(火) 沖縄手として発展する

沖縄でどのように空手が発展したのかを書きたいと思います。船越義珍先生の言葉によれば、文献などは残っていないので明確な年代や体系等は分からないそうです。諸説によれば、中国拳法が沖縄に伝わり、沖縄独自の沖縄手として発展したようです。何個か残っている説としては、450年前ごろ中国から公相君という武官が弟子を数人引き連れて渡来し一種の拳法を伝えたとあるそうです。この公相君が伝えた型を「公相君」の名を取って「クーシャンクー」と読んでいたものが「観空」となったそうです。また冊封使に附して渡来した武官「アソン」に師事して拳法を修めた者に那覇の崎山、具志、友寄氏等があり、「イワー」について学んだ者に首里の松村、前里、湖城氏等があり、「ワイシンザン」に道を問うた者に島袋、比嘉、瀬名波、具志、長浜、新垣、東恩納、桑江氏等があり、泊の城間、金城、松茂良、親泊、山田、仲里、山里、渡口氏等は福洲安南から漂着した支那人某に教わったとあり、約200年前、首里赤田の佐久川寛賀氏が中国に渡って拳法を修めて帰り、唐手佐久川の名を一世に謳われたと伝えられているそうです。空手の流派も際限なくあったようで、首里で発展したものを首里手、那覇で発展したものを那覇手、泊で発展したものを泊手などとも言われたそうです。空手道の型を大別すると、昭霊流と少林流があり、昭霊流は、重厚堅固、最も体力を練り筋力を鍛える事を主としたもので鉄騎、十手、半月、慈恩などの型があり、少林流は、軽捷機敏、進退隼の如き早業に適したもので、平安、抜塞、観空、燕飛、岩鶴などの型があるそうです。空手道は人から人へ伝わる中で様々に発展を繰り返しながら伝わって来たようです。極真空手は大山倍達総裁が創られた空手道ですが、源流は剛柔流と松濤館にあり、そこに大山倍達総裁が学んだり戦ったりした様々な拳法や格闘技などの稽古方法を取り入れ、また極真空手の諸先輩、諸先生方が様々な格闘技に挑戦したり学んだりする中で様々な稽古方法を取り入れたハイブリッドな空手道と言えると思います。私も空手道をしっかり勉強し稽古して、この極真空手をさらに前進させ発展させる事に尽力したいと思って稽古に励んでいます。緊急事態宣言が出てから1日も欠かすことなく1日4〜5時間は稽古に励んでいます。道場の稽古が再開したら、あれを教えよう、これを教えようと考えながら稽古に励んでいます。


kanno

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