「静かな大地」を遠く離れて
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2002年04月03日(水) Gの誘惑1999 オプティミストの青空

#「ギリシアの誘惑1999 G−Who極私的な旅日記」の再録です。




 1999.3.24「オプティミストの青空」

朝、やはり曇天か・・・というのが目覚めて最初の印象。
こんな日は何もしないのが一番だ。何しろ休暇で来ているのだから。といいつ
つ8時台には、もう外を散歩。平日の朝は通勤客の風情なども伺えて面白い。
昨夜みた街の印象を、朝日の光でもう一度確かめる。
道行く人の「顔の配合」がパリなどとは違う。南方系な顔もいて、眉毛が濃い
オッサンとか、丸眼鏡に長髪のおにいさんとか、いい味出してる。女の子は、
時々えらく整った顔だちの娘がいるが、総じてハッキリしすぎていて「濃い」
感じ。スロットマシンのようにピシャリ当たると凄い美人になる。以前それと
同じようなことを那覇で思ったことがあるが。

湿気と埃と排気ガスのまじり合った匂い。街のにおいだ。昨夜も車窓から見た
ソテツ系のデカいヤツが、結構あちらこちらにある。やはりここは、南の国な
のだ。車も多くて人通りもあまり秩序がないように見える。
バンコクだのカイロだのサンパウロだのには行ったことがないので何ともいえ
ないが、街路のこの雑然とした感じはアジア的(?)なのだろうか。
街角にベーグル状のパンを売っているオジさんが目につく。通勤客が買って歩
きながら朝食を摂るようだ。マネしようかとも思ったが、こっちはヒマな身。
店に入ることにした。

日本のドトール式のスタンド。チーズパイとエスプレッソ。欧州を旅している
と何がうれしいといってパンとコーヒーがどこでも及第点以上に美味しいとい
うことに尽きる。サンドイッチ屋も充実してる。日本にも普及しないものか?
それと、ギリシアがかつてトルコ領だった影響もあるのか、シシカバブ風の肉
を店頭に出した店が目についた。そのうち試そうと思うが、コワそうなお兄さ
んたちがたむろしている店が多いので躊躇。

食事も済ませたので今後の作戦を立てる。
今夜の宿は昨夜と同じにしているので問題ないが、その後は帰りのウィーン便
まで白紙だ。調べてあったJCBのアテネ事務所へ行く。現金もそんなに持っ
てなかったし国際カードも持ってない。我ながら綱渡りしている。関空のカウ
ンターでもらったJCBオリジナル地図も便利。先日タッチの差で届いたばか
りのゴールド・カードがこんなに活躍することになるとは思わなかった。

日本語で旅の手配を進める。
明日の独立記念日の休暇の影響か、週末まで飛行機は混んでいるらしい。オフ
・シーズンのはずなのだが、島の出身者が帰省したりするせいだろうか?希望
の日程だと便がとれず。
『ギリシアの誘惑』を読んだ身としては船だろう、ここは!・・・とばかりに
ピレウス港からの船の手配を頼んだ。
サントリニ島の宿は、御大の泊まったパノラマ・ホテルが、冬季休業中なので
別のところ。20年前は3月の同じ時期に開けていたのに!

結局以下の通りの予定が決まった。
3・25 明日、アテネで独立記念日の街を見物。
3・26 朝から10時間船に乗ってサントリニ島へ。
3・27 同島滞在。ホテル・アレッサナ連泊。
3・28 飛行機でアテネへ戻る。
3・29 終日アテネ
3・30 終日アテネ
3・31 朝ウィーンへ移動。
4・ 1 帰国便に搭乗。

アテネ後半日程で、アクロポリスだのリカベトスの丘だの歩きまくろう。…そう
思った矢先から今日もメチャメチャ歩いてしまう。市場地区あたりをまずはチェ
ック。那覇の公設ではないが、市場は確かに人を元気にする。豚の頭を見ても平
気、那覇で慣れてる(?)から。本来世界中の人間の生活の中に、動物を殺めて
食べる過程は含まれているはず。にもかかわらずこうして異国の市場に来る時く
らいしか、その実感がないのは異常な話だなぁ、などと思いつつ歩く。
それにしてもペット・ショップで、いろんな種類の鳥を売っているのを見た直後
に、市場で羽根のついたままの、多種類の鳥を見たのは妙に可笑しかった。北海
道の苫小牧のウトナイ湖でバード・サンクチュアリを見てきたばかりだけに、星
野道夫の本の、カリブーを見て「食べたい」と思う女の子の話を連想。
ともかく食べ物だけでなく、芝刈り機からウェディングドレスまで売っていた。

街路は小雨に濡れている。やはり石の町だ。
それはいいけど大理石の濡れたのは、とても滑りやすい。パリなんかが石の町、
というのとはまた違う感じがする。もっと石そのものや、石の砕けた粉の質感の
ようなもの、石の匂いがする感じ。たとえがワンパターンで経験の狭さを露呈し
ているが、坂がちであることや石が白い感じも含めて那覇の首里の丘を思い出す。
パリだともっと石が素材から遠ざかって、それ自体が有機物めいた生命を獲得し
ている感じがする。「レミゼラブル」の地下水道の場面とか。ここはもっと素材
に近い感じ。

歩き回っているうちに、雨が本降りになる。傘をもって歩いている人も結構いた。
さんざん歩き回って、カフェに入る。しつこいようだが那覇のA&Wに入って朝
飯を食べていて雨が降ってきたのを眺めていた時を思い出す。

さっき独立記念日の関係と思われるパレードを見かけた。
いろんな民族衣装の若い男女やボーイ&ガールスカウトなど多数。民族衣装はかっ
こいい。顔からして似合うし。日本人の若い娘があの衣装着てもRPGのキャラの
コスプレにしか見えまい。制服姿の女子高校生の群れにも遭遇。
明日もパレードがあるのだろうか。

この国の独立記念日の意識は、なかなかに複雑そうだ。
古代の栄光、オスマントルコの支配、19世紀欧州の革命の余波。そもそも今アテ
ネを闊歩している日本人の僕自身が、テミストクレスだのペイシストラトスだの、
古代の政治家や哲学者のマイナー目な名前なら何人も挙げられるのに、近代や今現
在のギリシア人の個人名は、まるで浮かばない。東京に観光に来た普通のガイジン
が、蘇我馬子だの稗田阿礼だのは知っているが、その後の日本人の名前は全く知ら
ない・・・というくらい、考えてみれば奇妙な話ではある。神様の名前だって、日
本の神話とどっこいどっこいくらいによく知っている。

今、日本で「独立記念日」にあたる日はない。2・11ではないだろうし。いっそ
のこと1868年なり1945年なりにそういう区切りができていれば、人々の国
家意識も違うのだろうが。高杉晋作とか大久保利通が建国の父であるような近代国
家・ニッポンも見てみたかった気がする。
近代天皇制のヌエ的性格の問題。私たちのナショナリズム。

古代天皇制のイメージを、もっと脱神話化することも有効な気がする。天智・天武
期をもっとリアルに語れないものか?井沢元彦の『逆説の日本史』みたいに、『歴
史のロマン』を排して。橋本治『平家物語』がそれに着手しているようだ。流石に
「源氏」の次には「平家」なんて単純な人ではない。シバリョウ亡き後、指針を求
めるオジサン方には、塩野七生の『ローマ人の物語』以上に橋本治『平家物語』に
注目してもらいたいが、きっと世間で評判を聞かないナ。
ギリシア史は現代史のみならず古代史をも考えさせる。

ともあれ子どものころからの宿願の地・サントリニ島まで手が届いた。事前のお勉
強もしたいので国立考古学博物館へ。「ボクシングをする少年」の壁画とかタコの
描かれた壺とか子どものころに見た覚えのあるヤツはアテネにあるのだろうか?エ
リック・サティの「ジムノペディ」を、脳内BGMにして壁画をみるゾ!と勇んで
行ったら、なんと14時閉館。・・・やられた。
博物館の前庭は、パイン系の南方植物がいっぱい。
樹の繁った陰に籐椅子のカフェがあったので、バリ島を思い出しつつそこで休もう
か・・・と向こうに目をやると、通りにインターネット・カフェ!

モーリー・ロバートソン氏やヤマネカズマ氏じゃあるまいし、モバイル完備で来れ
はしなかったものの、可能ならマネしてみたいとは思っていた。今これを書いてい
るモバイルギアを入力装置にして帰国後一気に送る「インチキ疑似モバイル」を敢
行しているわけだが、アテネにインターネット・カフェがあったとは・・・!
当然日本語OSが入った端末などないが、わがHPのURLは覚えている。BBS
にローマ字で書き込めばライブで日本につながることができる!

文字が化け化けの画面を開けて、ローマ字を書き込む。
すごくワクワクする。池澤御嶽の題は画像なのでそのまま。ギリシア人に囲まれて
エスプレッソを飲みながら化け化けの画面に見入る東洋人。ガラス張りの窓を通し
て、通りからもよく見えるシュールでスノッブな光景。
しばらくして植木タクロー氏の例のページもアドレス覚えてるのに気づく。ここは
池Z春菜嬢の生誕の地なわけで、春菜フリークにすれば聖地だ、などと一人で盛り
上がるバカ。アテネまで来て、こんなことするヤツもおらんだろうなぁ、と思いつ
つ書きこむ。そのうちウチのHPのBBSの方に、かおりんさんのレスが帰ってき
た! 他の人の反応も楽しみ。数日後にまた来よう。

雨がちな中、ホテル方面へ戻る。
靴下とか水とか足りない生活物資を調達しつつ。島へ行くと難しいだろうし。欧州
の都会に滞在する分には、やたらと荷物を持ってくる必要はないなと思う。なんで
も現地調達が可能だから。日のあるうちに部屋に戻るのも、いくら雨模様とはいえ
能がないが、きょうは歩きすぎで疲れたのと天気が悪いのとで降参・・・しかけた
時、ホテルのすぐ近くの通りにギリシア聖教会を見つけた。
昔ウィーンの聖シュテファン大聖堂で、湾岸戦争の終結を祈っていたことがある。
去年は北ドイツのアーヘンにあるカール大帝の石の聖堂を見に行った。パリのノー
トルダムのドームも二度行った。あとはやはりミラノかと、須賀敦子ばりの大聖堂
マニアとしては思う。

ギリシアはビザンチン帝国の担い手。
東方的なるもの。イコンなんかも見たい。イスタンブールはトルコだから、そうし
た東ローマ的なるものはギリシア正教の文化の中にこそ見いだせるのだろう。『ギ
リシャの誘惑』の「都市の星座」で御大は、スペインのカトリックと違って「正教
の精霊は空気中に漂っている」と書いている。
「時には教会で蝋燭を奉納するようなことも、それこそ子供でも連れていれば、ご
く自然にできる。」・・・だそうな。フ〜ム、子供ねぇ(笑)
というわけで、一応ノリでローソクも奉納しておいた。涜神的異教徒の荒業である。

聖堂の中のイコンは確かに東方っぽい。
新しい教会のようだが、ビザンチン博物館に行けば古いのも見られるのだろうか?
…そう言うには滞在日程が短い。帰国したら中沢新一『東方的』を読み直そう。 ア
ーヘンの聖堂はとても古くて精霊っぽい空間だった。あの直後に行ったバリ島とさ
え連続するような、ゲルマンの土俗を感じた。欧州の基層には精霊が溢れている。
中世の途中から、異なる原理が立ち顕れたのだろう。
いつかキートンさんばりに、ケルト遺跡も見たいなぁ。

教会から外へ出る。日が暮れかけている。
空の一角に今日はじめての青空が、わずかにのぞいていた。まるで図ったかのよう
に。こう書くときれいに落ちをつけようとしているみたいだが、ホントにそうなの
だから仕方がない。はじめてのギリシアの青空。それもほんの少し。
このあともし悪天候が続いても、不機嫌にはならないことにしよう。普段仕事では
驚異的なまでに天気の神様に贔屓されているのだ。

イメージの中の晴れたアテネやエーゲ海の青を、アラスカのオーロラのような特異
な現象と見立ててみよう。木の芽が吹き、花の蕾がふくらむ。ギリシアの春の青空。
正味1週間という滞在期間はそれを「観測」するための滞在として長からず短から
ず丁度いいところではないだろうか?
この旅は、筋金入りのオプティミストになる修行に、絶好の機会かもしれない。

れて、カリキュラムが整ったというところだ。先は長い。


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