「静かな大地」を遠く離れて
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2002年02月03日(日) 世界の中心としての耳

別離とか、転居とかが記憶装置たる自己存在の「小さな死」だとするならば、
さしずめ僕などはいつもいつも好きこのんで死につづけているようなものだ。
ほんとうに好きなのかどうかはわからない。大きな死に脅えているだけかも。

節分の夜更け、すなわち立春の刻限。 不可逆的なる現象…死。そして恋。
昔読んだ半村良の傑作SF伝記ロマン『妖星伝』の作中人物が、この刻限に
ついて語っていたのを思い出す。世界の「死と再生」の秘密が顕現する日。

不可逆的なる力のあまりに過ぎるとき、壊れないために、言葉は機能する。
外部との境界、魔の領域。普請にたずさわる者は皆、外部を見る鬼なのだ。
物語を普請する者にも、もちろんその資格はある。外部を見ているならば。

好奇心は兎を殺す。野ウサギが走れば時間が裂けて、外部との通路が開ける。
ゆえに外国との交易港は兎の故郷なのだ。世界のすべてを異郷と感じる者に
とっての故郷は港しかない。だから唱えよう「二兎を追う者、三兎を得る」。

凍るような雨が降る休日。また一日歩き回って、下北沢で鴨鍋を食べながら
土佐の酔鯨を飲んだ。死を溶かし込んだような深い色の海が見えた気がした。
あるいは降りしきる雪の底にたたずんで、もう静かにしているよりない感覚。

ふと森の中を、雪原の上を、外部への通路を嗅ぎつけて走る兎の姿を想った。
酔鯨を飲みながら、言語というものの本質と声との関係について考えていた。
言語にとって声とは何か?兎にとって耳とは何か?僕にとって港とはどこか?

人の声も荒い交通空間としての港、それと宇宙のかそけき音に耳を傾ける兎。
来週末はヨコハマを歩いて“あいつ”をさがしてみよう。きっと居るはずだ。


題:225話 函館から来た娘15
画:ハーモニカ
話:十勝と日高、どちらになさる

題:226話 函館から来た娘16
画:おじゃみ
話:港には誰も探しにきませんでしたね、と言って笑った顔が凛々しくてね

題:227話 函館から来た娘17
画:綾取り
話:こんなに静かな海は珍しいくらいだと言われた

題:228話 函館から来た娘18
画:腕輪
話:函館のあの苦界の隅っこでしか、暮らせない女だったんだよ、わたしは

  ≪あらすじ≫明治初期、淡路島から北海道
 の静内に入植した宗形三郎は弟志郎や信頼す
 るアイヌと協力しながら牧場を開く。アイヌ
 に育てられた雪乃と結婚し、戸長として多忙
 な日々をおくる時機までの伯父の歩みをたど
 った由良は、今度は父親志郎との結婚のいき
 さつを母親の弥生に聞いている。

題:229話 函館から来た娘19
画:メンコ
話:たまたま逃げ込んだ小鳥にずいぶん親切にしてくれる

題:230話 函館から来た娘20
画:紙風船
話:海は見えてるもので、わざわざ見るものではなかった


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