「静かな大地」を遠く離れて
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2001年11月04日(日) 弥勒リハビリ・プレイ

題:141話 鹿の道 人の道21
画:カフスボタン
話:この敷地をどう使うか、三郎さんは夜毎に考えられました

題:142話 鹿の道 人の道22
画:アームバンド
話:稲とは異なって藍は真夏の暑さを越えなくとも作れる


「新世界」建設への意志。賢くて勤勉で野心を得た三郎君は、開拓に余念がない。

ヘニョロモな僕は昨夜の冷たい雨のように憂鬱で心細い気分をやり過ごしている。
何歳になっても、住む場所や周囲の状況が変化しても、やっていることは一緒。
しんどいねぇ。
そんな気分で読む本じゃないけど、そんな気分だったから読んでしまったのが、
*篠田節子『弥勒』(講談社文庫)
ヒマラヤと思しき地域の小国家にユートピア建設を目指す独裁者が出現するが、
そのラディカルな理想主義は苛烈なディストピア、地上の地獄を現出せしめる。
この小国は思考実験の枠みたいなもので、いろんな国を“代入”できる。
カンボジア、ネパールやチベット、北朝鮮、アフガニスタン、日本、そして地球!

ヘヴィーです。これは「小説」なわけですが、圧倒的に“リアリティ”がある。
この場合の“リアリティ”は、データ的な現実らしさとか呈示される議論の妥当性
とかだけじゃなくて、読む身に迫る“のっぴきならなさ”や“逃れられない気分”
といった感じのもの。カンボジアでも文化大革命でもホロコーストでもヒロシマでも
「事実」は逆に“歴史の額縁”に封じ込めることによって相対化できるところがある。
そして単純に「事実」であるという点では、それらの大事件と“等価”な「現在」に
逃げ込むことが出来る、とりあえずは。んがしかし、力のある小説で脳内チャランケ
を強いられると、なかなか抜けないでループしかねない。危険だ。
美、信仰、経済、生産、労働、共同体、家族、性愛、権力、強制、殺戮、理想…。
ええい、たかが作家の頭の中で拵えられた物語ではないか!
…なんて気持ちにさえなるというのは、作者の篠田節子さんへの賛辞だろうか?
『すばらしい新世界』と『花を運ぶ妹』の作者は“心優しい”のか “手緩い”のか、
それとも何なのだろう、と思わされる一冊。読んでみれば、僕の言うことがわかる。

「現実」の世界で起こっていることを、異なる視点から総覧したくなった、で、

*アンソニー・ギデンズ『暴走する世界』(ダイヤモンド社)
著者は英国の社会学者。僕は大学で社会学のゼミに在籍していたので名前は知ってた
けど、日本の学者の論文に引用されてる文章以外は読んだことがなかった。
“RUNAWAY WORLD How Globalisation is Reshaping Our Lives”が原題。
「グローバリゼーション」の本質/多様化する「リスク」/「伝統」をめぐる戦い
/変容をせまられる「家族」/「民主主義」の限界…という章立て。
つるっと読める分量なだけに、突っ込みは浅いけど、韜晦してなくて著者の立ち位置
が明快なのがいい。ギデンズ氏はトニー・ブレア首相のブレーンになっているという。
米国と軍事行動をともにしつつ、世論に鑑みて素早くアフガニスタンへの食糧援助の
プランも発表したり、あくまで主体性と存在感を忘れさせない英国流の戦略には、
良きにつけ悪しきにつけ「感心」していたが、本書を読むとその背後には知識人の
「覚悟」の違いも作用しているのか、などと思う。

*辻信一『スロー・イズ・ビューティフル』(平凡社)
ヘヴィーな『弥勒』の後に読むと、バッド・ジョークのようにも読めてしまう感も
あるけれど、真摯に考えて書かれた「エコロジカル」「サステナブル」な生き方を
“スロー”という魅力あるキーワードで括った好著です。リハビリになりました(笑)
 http://www.sloth.gr.jp/J-index.htm
著者も関わるNGOのHP↑に、この本のことも紹介されています。
グローバリゼーションにも、過度な産業化の弊害にも、「じゃ、どうすればいいの?」
という“今ここ”からの疑問にオルタナティブな具体案を示そうとしてくれます。

…でもね、『弥勒』からのリハビリに最も即効性があったのは、

*みうらじゅん『新「親孝行」術』(宝島社新書)
まったくもう、地力のある人ですな。ギデンズ教授に読ませたいよ、これ(爆)
社会学的な考察力も叙述力もホレボレするばかりの見事な著作です(^^;
かつて「マイブーム」という概念を“創造”した著者が、家族関係を俎上にのせた
“お笑い”本なのだけど、端的にいえば親子関係という、もはやフィクションと
なって久しい概念を「親孝行プレイ」という“見立て遊び”の材料にすることで、
余すところなく掬い取った社会学的成果の書。その完成度たるや瞠目に値する。
何より、その「プレイ」概念により“実践”へ開かれた理論の完成度はギデンズ氏
の比ではないだろう。かつて宗教に関して『見仏記』という仕事をしている著者は
家族に関しても素晴らしい理論と実践の道を示してくれたのである!

村上龍氏も『最後の家族』なんて言ってる場合じゃない、こっちのが過激で深い、
そして圧倒的に面白い。ヤバイのは、この本が赤瀬川源平『老人力』みたいに
流行語になってしまったりすると、「親孝行プレイ」の対象たる親の世代たちが、
「プレイ」されていることに気づいて居心地が悪かろう、ということだ。
そこから日本の家族は、さらなる新しい未踏のフェイズに入っていくことになる。
だまされたと思って立ち読みしなさい。最近になく、めっちゃ笑えた。
いやぁ、恐るべし、みうらじゅん、そしてありがとう、みうらじゅん(敬称略 笑)

真に強靱な“スロー”スタイルは、こういう人にしか作り出せないんだろうなぁ。
僕が秘かに目論んでいる「お笑いスティル・ライフ」というコンセプトに近いかも。

…ってなことで、もし今週この日録の更新が止まっても、単に多忙なだけですので
お許し下さいまし。


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