「静かな大地」を遠く離れて
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2001年09月11日(火) 「帝国」の南進論者・榎本武揚

題:89話 鮭が来る川29
画:ハチ
話:「日本という国が強くなったのだからいいのかな」

五郎さん、ストレート・トークつづく。
『武揚伝』を読んだ方のための応用編、みたいな話になるか。
榎本武揚という人が明治国家の中にいることの“異彩”ぶり。
箱館戦争の「首謀者」であるにもかかわらず、後に赦免されて
明治政府の高官として重用されていったが、つまるところ明治
という国家は榎本に、どこまでもその矛盾を背負わせる役回り
を演じさせたのだ、という解釈を聞いて、目から鱗が落ちた。
さまざまな勢力が離合集散する政治空間で、国際関係を含めて
難問山積の明治国家、焦げ付いた難儀な問題が起こると榎本に
お鉢が回ってきたというわけだ。それを粛々とこなしつづけて
日露戦争さえも見届けた明治末に没。

箱館の熱い日々、それとそのあとの長い長いスイーパー人生。
小説の登場人物ではなく、われわれが生きているこの現実と
まったく地続きの「歴史」の中にしっかりと足跡を残した人物。
そういう榎本の実在の“手触り”を確かめるのに良い本がある。
僕が今まで読んだすべての本の中で屈指におもしろかった本に
挙げる、鈴木明『追跡 一枚の幕末写真』(集英社)だ。
とにかく著者が函館図書館で見た、日本人とフランス人の兵士
たちが共に映っている写真を執拗に追跡しながら「敗者」たる
彼らの足跡と、正史の影に埋もれたその明治期の生きざまを、
まざまざと甦らせた名著だ。絶版のはずだが、絶対のオススメ。
榎本だけでなく、『武揚伝』の主要登場人物たちの肖像写真や
小説では描かれることのなかった後半生を知ることができる。

この本に出てくる多くの忘れられた人々の生きざまに、最近の
著作で、新たなる意味づけを付与して、オモテの近代日本を
撃ってくれたのが、文化人類学の泰斗にしてニッポンの周縁
北海道が生んだ稀代のフィールドワーカー山口昌男氏である。
佐々木譲さんの『武揚伝』を読まれて感銘を受けられた方は、
鈴木氏の『追跡』、そして山口昌男氏の著作へと進まれると、
ストーリーとファクトと理論的な視角とがそれぞれに相補う
読書体験ができることだろう。綱淵謙錠『乱』(中公文庫)
を加えれば、さらに興味深い。

明治国家のメインストリームから少しズレた流れの明治人たち
の生きざまを快く読むならば、小説家の星新一氏が実父の星一
のことを書いた諸著作が断然面白い、それに元気が出る。
維新の「負け組」東北の福島からアメリカ経由で一代のうちに
“ベンチャー”星製薬を築きあげながら、理不尽な政府の妨害
にあって、ほとんど憤死に近い運命を辿ったというところなど、
いま考えてみれば、榎本武揚公と近いマインドもあるかも。

『明治・父・アメリカ』『官吏は強し、人民は弱し』そして
星一と関わった有名無名人の評伝を集めた『明治の人物誌』
(すべて新潮文庫)。さらに『祖父小金井良精の記』がある。
このお祖父さんと北海道との縁もまた、『静かな大地』の読者
には知ってほしい話である。なお、医師であり自然人類学者的
な研究者だった良精の人生と歴史の綾を考えるならば、格好の
併せ読むべきテクストは手塚治虫『陽だまりの樹』だろう。

では、鈴木明氏の『追跡』から少し引用をして話を展開しよう。

 榎本武揚に関する記録を眺めてゆくと、意外な発言にぶつかる。
 簡単にいえば「南方の島を注目せよ」ということである。
 (中略 南の島領有の利を説く榎本の論がまとまられている)
 いまこのような話をきけば、榎本は途方もない侵略主義者の
 ようにみえるが、あの広大なアラスカをアメリカがロシアから
 七百二十万ドルで買いとったのは、榎本がこう発言したときの
 わずか十年ほど前である。

欧州文明の人、榎本武揚の“ガヴァン”(<ガヴァメントの)
することへの意志。実際、蝦夷共和国で「負け組」の居場所を
創ることに挫折した榎本が、その多忙なる宮仕えの余生で情熱を
傾けたのは、南の島や南米への移民事業だった。
「南進論」の巨魁・榎本武揚!
オランダに、身分の差のない自由で活発な社会の魅力を見た青年
は同時に留学の途上で、当時のオランダ領インドシナのバタビア
を見ている。17世紀、世界の海に覇を唱えたオランダが領有
していた紛れもない植民地の存在を、榎本釜次郎青年は一体どう
見たのだろうか?その目で、蝦夷のアイヌの人々を実際のところ
どう捉えていたのだろうか?
知恵と力と人材の限りに軍事力をオーガナイズしつつけなければ
存在すら保証されてこなかった「国家」とは、「帝国」とは?

明治期のさまざまなフェイズ、さまざまな階層の「負け組」の
人々の埋もれた声に、いま「負け組」になりつつある日本の人々
の多くが、もっと耳を傾けてみるなら、和製のオールタナティブ
な人生のダンディズムのようなものが見えてくるかもしれない。
負けてもなお、人生はつづくのだから、いつか終わるまでは。

「どんなときでもガクモンは厳然としてやらなければならない」
昭和が終わった翌日の明治大学の教室で言った栗本慎一郎師の
言葉を思いだして、今夜はまた少し小難しい話を書いてみた。
別に学問じゃないけど。明大には“潜り”で聞きに行ったのだ。
あれからずいぶん時間が経った。が、世の中は変わっていない。
いま、「文明」への問いが突きつけられている。

少し経ったら、去年僕がはじめて訪れた異貌のアメリカについて
書くかもしれない。ワシントンDCの友人への報告として。


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