「静かな大地」を遠く離れて
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2001年09月09日(日) 何はともあれ『武揚伝』

題:88話 鮭が来る川28
画:イトトンボ
話:「山やら川やらに持ち主がいるか?あの広い空に持ち主がいるか?」
  「これは理(ことわり)か、没義道(もぎどう)か?」

朝日の書評欄に、佐々木譲さんの『武揚伝』(中央公論新社)が出てた。
評者は木田元さん、哲学の。メルロ=ポンティとか訳した方ですね。
なにゆえ木田氏が『武揚伝』?…と思いつつ読むと、
「なぜかむかしからこの榎本武揚に強く興味を惹かれてきた」との由。
結構インテリ層に人気あるじゃん、釜次郎さん♪

ただ気になるのは「小説仕立ての伝記である。」と紹介していること。
ま、違いはしないんだけど、調べられる限りの史料に当たった上で、
それを素材にして創作された「ロマン」としての評価をしてくれないと、
書評としては、ちょっとズレた印象になってしまうのではないかな、と。
たまたま榎本ファンだった木田氏が取り上げたくなった気持ちもわかるし、
いきいきとした叙述から、大いに感興を得たことも伝わってくるのだが、
佐々木さんの作品は優れた評伝に留まるのではなく、骨太な史論でもあり、
なおかつ瑞々しい青春群像劇でもあり、何よりひとつの「小説」なのだ。
とりわけ僕が大好きな、冒頭の地球儀と星座をめぐるロマネスクの部分や、
長崎で出会う混血少女“おたえ”というキャラクター、そして蝦夷地視察
のくだりで登場するアイヌのシルンケのエピソードなどは、史料を繙いて
紡ぎ出したストーリーを読者に“読ませる”ための「小説的修飾」の範疇
などでは決してない、逆に一人の小説家が「物語」の神様を降臨させる際
に“時代”のディテールを「素材」として使った、というのが事の順番。

そうしたとき“武揚伝(ぶようでん)”という、骨太を絵にかいたような
渾身のタイトルが仇にならないか、と杞憂にとらわれる。
佐々木譲さんの作品はいつもタイトルのつけ方が洒落ていて、翻訳物の
冒険小説の邦題を模した感じで、かつ内容を上手に反映したタイトルを
つけられるのだが、今回はあえて骨太にしたのだろう。
しかし、多くの読者に届かせる、という意味では、このタイトルは損を
してしまっているような気がしてならない。
その上、どうも「読者層」が想定しにくいというか(多くの人に読んで
もらいたいのだが)佐々木譲さんのコアな読者層を除いたとき、榎本武揚
に関心のある好事家にしか届かないのではないか、と思うと結構くやしい。
大丈夫だろうか、佐々木さんの過去作とかと比較して売れてるのかな?(^^;

「榎本および“蝦夷共和国”の再評価」などという狭いところではなく、
現在、経済と社会の危機に瀕しながら遅ればせの「改革」の掛け声が響く
日本国が、かつて通ってきた「近代」の立ち上がりの時代の見方自体を
根本から変えてしまう視角を提示している、骨太かつ斬新な小説なのだ。
それも薩長に対置する東北、とかの“お国贔屓意識”から、
「正史」に対する怨恨を込めた、だけれどマイナーな注釈を付けようと
した玄人好みの本、なんてことでも全然なく、これこそオーソドクスだ
と思わせる説得力と魅力を備えている。
むしろ予備知識や時代小説を読む趣味さえ必要ないような作品だと思う。
素直に頁を繰って登場人物の動きを追っていけば、エンターテイメント
としてちゃんと楽しめて、作者の描こうとしたテーマも腑に落ちる。
「北海道独立論」めいたものには、それなりに思うところもあるけれど
まず「近代」日本の始まりに、オールタナティブなモデルが存在したこと
が広く深く認知されることの意義は大きいはず。
司馬遼太郎氏のいくつかの幕末ものなどを、まったく読んだことのない方
で『武揚伝』を読まれた方の話も聞いてみたいものだ。
あと、やはり池澤夏樹御大の書評も、ぜひ読んでみたい(^^)

『静かな大地』を遠く離れて、五郎さんの問いかけに、『武揚伝』という
補助線を引きながら迫ろうかと思ったけど、シルンケという登場人物の
描き方などについて書くと、「ネタばれ」が過ぎるので避けます。
最近さらに“副読本”が増殖しすぎ、という苦情、ないし喜びの声を頂戴
していますが、『武揚伝』は第一級副読本。『静かな大地』を読んで
なくてもいいから、ぜひ『武揚伝』は読んで下さい!(爆)

あ、切通理作さんの『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)読み中ですが、
昨日アドレス書いた切通さんのサイトで様子はわかっていたものの、
実際手に取るとなかなか凄まじい枚数の新書、読み応え抜群です(^^;
…っていうか、「宮崎駿論を新書で」ってオーダーに応えるのに、
「コナン」の各話へのコメントから、ぜんぶ律儀に書いていくスタイル、
オトナの著述家のすることじゃありませんね(笑)大好きですけど♪(^^)


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