「静かな大地」を遠く離れて
DiaryINDEXpastwill


2001年07月16日(月) “幸福のトラウマ”

題:34話 最初の夏4
画:チモシー
話:異なる言語との初めての出会い

五郎ちゃんが、まだ出てきませんでした。
これから三郎兄さんを中心にした少年たちの「ひと夏もの」が展開する
ものと決めつけている(笑)“幸福のトラウマ”の原体験となる夏。
つよく横溢する夏の日射しが作り出す、光と影のコントラスト。
良いことも、つらいことも、しっかりと焼き付くような“あの夏”。

御大の子供時代の帯広での体験に、そういう原体験を求めるのは
年代的に少し難しいだろう、何せ5歳までだから。
むしろ読書体験と、それに派生したギリシア体験が大きいかもしれない。
すなわちジェラルド・ダレルのコルフ島、それに感化されて御大が
住んだアテネ時代の体験と、日本帰国後に味わわれた「失楽園」感。
あるエレメンタルな暮らしへの絶対肯定と憧憬。

ジェラルド・ダレル『虫とけものと家族たち』(集英社文庫)は、
数年前にちょうど今の季節、夏の文庫100冊みたいな中に入っていた
ので、そのとき再刷されたようだが、『鳥とけものと親類たち』は
ずっと絶版状態のはず。ちなみに僕はどちらも持っている、実は(笑)
これと坂本嵩『開拓一家と動物たち』を併せ読めば、オトナたちには
ある種、シリアスな体験であるはずの開拓という難事業下の「夏」が、
少年たちにとっては輝きに満ちたものたりうる、というのは想像できる。

御大の“幸福のトラウマ”の原点は、
あくまでもそうした「男の子のユートピア」みたいなものなのだろう。
それに対して、図らずも北海道に材をとった時代ものの先行作品、
北方謙三『林蔵の貌』も、船戸与一『蝦夷地別件』もなんとなく事の
顛末のつけ方に、ガクセイウンドウの影が差している感じが色濃い。
ネタバレになるが、いずれ架空の部分が多いとはいえ、大枠の歴史は
踏み外していないわけだから、和人とアイヌが共に手を携えて豊かな
社会を築いた…ってな結末にはなりようがないわけで、主人公周辺の
人物は挫折し、敗残し、復讐に走ったり、仲間の死を悼んだりする。
なぜか北海道の歴史に材を採ってフィクションを作るときに、
この範型が妙に馴染んで説得性があるのは、現実の歴史の悲哀ゆえか。

同じことをやっても仕方がない。
御大の趣味でもないだろうし、現実の時代もさらに先へ進んでいる。
事はさらに根元的なところへ降りていかないと理解し難くなっっている。
『楽しい終末』を、遙かに通り過ぎた地点から書かれる作品なのだ。
『お登勢』は面白い物語だが、課せられている“お題”がまるで異なる。
この、ある意味での最大の難所を、御大がどう越えるのか?
それとも、想像もつかない線から物語を立ち上げてくれるのか、
おもしろいところである。

#ま、そんなこんなで続いたり続かなかったりのこの日録ですが、
 皆さまいかがご覧になってますでしょうか?(^^;
 来月初旬から中旬にかけて執筆者国外逃亡のため、また中断します。
 っていうか、来週も、先週と条件は一緒なので更新厳しいんですが(^^;
 ご声援のメールいただいた方、どうもありがとうございます〜♪


時風 |MAILHomePage