まめごはんつうしん
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2006年02月17日(金) 分岐点はどこに?

私が最近、「うんうん、そうだそうだ」と思いながら読んでいるサイトのひとつが、「ほぼ日刊イトイ新聞」で毎週水曜日に更新されている(みたい。最近気がつきました)「おとなの小論文教室」というページ。本まで買っちゃったし(^ ^;)ゞ。最近、私の仕事が「表現すること」抜きでは成り立たない……ということに気がついた所為もあるのか、毎週の文章のひとつひとつが、ホントにいちいち胸におちるんでした。
で、ですね。
今日はそこの、ここのページのことを不意に思い出して、話が進みます。


私はよく、ここで「あの8月が私の分岐点だった、って後々まで思い出すんだろうと思う」というようなことを書きますが、このページを読んだときに「ん?」と思ったんです。
そういう、目に見えることは、分岐点としてはもうちょっと違う、のかなぁ? たしかに、あのとき、彼女に思いっきり叱られて、そのことがきっかけで変わっていったものがあって、それで今もここにいることを選んだ、とは、言えなくもないのだけど……そうか、それだけでは弱いかもしれないなぁ、って。自分が自分を越えていくことをあらためて見つめ直すきっかけにはなったけど、それだったら、ほかのことを選んだって別に、よかったのかもしれない。

あれ以来、多少厳しいことを言われたりしながらも、そこを乗り越えてほしい……という思いを受け止めながら、いろいろなことに取り組んでいます。専従者として会議や学習会に出てほしい、というようなことを言われることも、増えました。
で、はたと思い出したことが、あったんです。

ちょっとそれるんですが、mixiで私の出身高校のコミュニティを覗いていて、自分が通っていた頃の先生の話題、というのがあったんです。私自身は……実を言うと、高校は「不登校になってもおかしくなかった」状態だった(けど、毎日ちゃんと通っていた。親に心配かけたくなかったし……)んです。だから、ほとんど思い出もない……と思っていたけれど、そんな中でも今の私にかなり影響を与えた……と思われる出来事があったことを、思い出しました。


うーん、私の10年くらい下の子も、この先生の授業を受けていたのか……
しかも、私が受けた授業と大差のない状態で(^ ^;)



1年生の時の担任が、現代社会の先生だったんでした。現代社会って、今、科目であるところって、ありますか? うちの高校は進学校のような位置づけの割には、某大学の付属高校でもある一面があったからか、1年生は全員現代社会が必修だったんですね。2年下の実弟の高校は現代社会なんて科目そのものがなかった……
でも、この授業が今思い出してもものすごくおもしろかったの! 教科書も一応あった気がするんだけど、教科書ってほとんど使わなかったんじゃないかなぁ。「この曲を聴いて思ったことを書け」って、吉幾三の「おら東京さ行ぐだ」とか、日本国憲法前文の歌とか……この憲法前文の歌は聴かされたひとが100人いたら99人は吃驚、というリアクションだったらしい(笑)。そりゃそうだよなぁ。私だってなんかのギャグかと思ったもの。ベルリンの壁が崩壊した年に高校1年生だったひとは、この先生の現社だったばっかりにかなり世界の生々しい場面を教わったようでもありました(^ ^;)ゞ 。ちなみにその年私は大学1年生だった。

でもね。
今日、学習会に出る羽目になって、その学習会に出て。
途中から話なんか頭に入らなかった(こら!)。
不意にその先生のことを思いだしたんですよ。

私自身、高校生の頃は今以上に引っ込み思案で殻に閉じこもってばかりいる生徒でした。別の先生に「キミは、本当におとなしいんだねぇ」って驚愕されたこともあった(苦笑)。でも、私がボランティアに興味がある……らしい、と思った当時のその担任は、こんなのがあるよ、と、いろいろなものを紹介してくれたのを思い出しました。結局、私が自分の殻を破ることはなかったんだけど。

そうだ!
私、なんかの話になったときに、この授業の話を、私の前任者だったひとにしたことがあった。きっと、そういう話をしたら、その話は事務局長さんだけでなく、ここに関わるいろいろなひとに伝わる……ということは、充分考えられることで。


導かれていた。


でも。それだけではなくて。
高校1年生だった私が、受け取ったメッセージ。それが明らかにあって、私はここにいるのではないか、そんなふうに思える。言葉にはうまくできないけれど、私の「芯」になる部分のひとつを作ったのが、この時期だったんじゃないかな。そんな気がする。
私は、その流れに乗っかった、そういうことなのかな。だとしたら、戻れない。それが、使命だから。

来月、帰省したら、まだ実家に残っている荷物を探してみよう。
もしかしたら、まだ取っておいてあるかもしれない。現代社会のノートとか、プリント類。受験には実際役に立たなかったけど(苦笑)、好きで読み返してたんだよねー、長いこと。

この先生は、もう母校にはいないんだろうか。
もう私のことなんぞ覚えてないと思うけど、会って話をしてみたい気がする。
彼は、どんな思いで、あのような授業を展開したんだろうか。
彼の伝えたいことは、なんだったんだろう。聞いてみたい気がするな。
今更意味がない? でも、私が今手がけている仕事は、あの時なんかのギャグだと思ったあの授業が、ベースになっているなと、今思うのです。
そう、あの時習ったことの意味を、今になって知るような。




生きていて意味のない時間なんて、ないのかもしれない。
いちばん「どうでもいい」と思っていた頃の私が、今の私を形作っていたなんて。
そのために私は、傷だらけの私を、乗り越えていくの。きっと。


まめもも |MAILHomePage