| 2024年02月02日(金) |
スピンボールの打ち方思い出したかも その2 |
完全に脱線したがいつものこと。 エンピツは「日記」なのだ。
☆ 心が定まったこと
これも一役かっているかもしれない。 スピンスタイル、いやぴょスタイルと言っておこう、この確率テニスはフィジカルが落ちてきた今こそ貴重なスタイルだと考えた。 フィジカルを仕上げても、視力の低下や絶対的な練習量の不足及び体力の低下は防げない。 それでもまだ動けていると思う。 フィジカルの底上げは不可欠だが、目標は試合に出て結果を出すことでは無い。 いつでも試合に出られるだけの状態を仕上げておきたいという個人的な願望である。 最近何かにつけて思い知ることが多いが、俺は決して人からどう見られたいか?等のモチュベーションは無い。 結果的には同じだが、俺がやりたいと思う事が出来れば、後はどう思われようが関係ないのである。 べしの兄貴のように自分自身への客観的評価はずれていない(笑)と思うので、ある程度出来てしまえば結果他の人からは正当な評価を受けるだけのことである。 忘れもしないが、ぴょスタイルが完成に近づいてきたとき、当時対外的評価の高かったこさ男さんとのダブルスを見ていたベテラン女子から「あなたの方がリードして良いプレーをしていたよ」と言われたとき嬉しかった。 実際に俺もそう感じていたし、結果負けた試合だったのだが、ぴょスタイルの効果も感じつつ、格下には負けないテニスは完成に近づいていると感じていたからだ。 相手も良いペアだったが、勝つためにはペアのこさ男さんとの話し合いが必要だなぁ、と感じていた。
ほぼ同時期に、わかとB級戦線を戦っていたはずだが、ここでも明確な実績を出していた。 残念ながらこちらも準優勝で幕を閉じたが、明確にB級を卒業しても良いだろう、という確信があった。 翌年からは、A級戦線を共に戦うペアとして180を選び、恐らく2年目から予選負けしなくなり、準優勝2回、ベスト4、8を経験し、ダブルスランキング4位で終えた。 都市対抗候補として選ばれ練習にも呼ばれたが既にバーンアウトしていた。 負けないテニスで結果を残したが同時に仕事もプライベートも大きな変化を迎えていたことも重なった。
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