| 2002年09月27日(金) |
光と影、記憶という名の幻想 |
平日の人通りの少ない時間に、北野(神戸市中央区)の 細い坂道を自転車でくるくると散歩するのが好きだ。
アクセサリー屋、カフェ、雑貨屋、異人館、アイスクリーム屋。 利用することは滅多にないが、眺めていることは結構多い。 (訂正:アイスクリームはよく食べてる)
高台から海を見下ろす。雑多なビルの向こうに海が見える。 この風景は、神戸に空港が出来てしまったら、全く違うものに なってしまうかもしれない。今のうちに見ておこう。
観光客と、生活者と、労働者と。3種の人間が、あたかも 互いの存在に気付かぬかのように、すれ違って行く。
古びた店の埃と同じくらいに積もっている記憶と言う名の幻想。
地元の人とレストランとかカフェの話をすると、 「震災前にあった店だけど、、」と震災で壊れた店の話になる ことが多い。もう無いお気に入りの店。もうそこで食べも飲みも 出来ないのに。それもまた記憶という名の幻想。
子供の頃、老人と大人はこう言っていた。
「昔は、大変だった。」
今の大人達は、若者や子供にこう言っている。
「昔は、良かった。」
どうやら私が夢見心地に幸せに暮らしている間に、 この国の状況は、かなり変わってしまっていたらしい。
この街も。光も影も昔からあったもの。でもちょっと影が強くなった。 画家なら、その光と影のダイアローグを見逃さず、キャンバスに 閉じ込めてしまえるのだろう。
曇りの日は曇り空の下を歩く。 晴れた日は晴天の下を歩く。
それはそうでしか有り得ないこと。
私達に与えられた選択は、曇り空や晴天の下を、 笑顔で歩くか、悲しい顔で歩くか。
好きな方を選べば良い。
私は、とりあえず、この世界を笑顔で歩かせていただくことにする。
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