隠喩と暗喩の対話

日々の心象を抽象的な言葉で。隠喩のはけ口、いわばポエム。

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2001年11月06日(火) :僕はこの瞳で嘘をつく


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続き・・・というかなんというか、あいまいにあやふやにうやむやにハイカラに。言いたいことが幾つかあって、それぞれお互いに関連があって。単純に上から下に流れる文章では、思うように表現できない口惜しさ。技量不足の口惜しさ。インスタント妬きそばの不味さ。



特攻隊員が出撃前夜に書いた遺書、或いは捕らえられ処刑の前夜に書いた遺書に対して、遺書に本当のことは書けない、ウソだ、だと主張してみたり、もしくはあるイデォロギィに偏った注釈をあれこれつけたりして利用いるという。

なんということか。

詩と同様、遺書にウソだと文句をつけたりなんだかんだは、遺書に対する侮辱だ。そして、同時に死者に対する冒涜でもある。

現世の差別心てのは人間が持っている愛情とか嫉妬とかと同じあたりまえの代物だと思っているし、それによって社会的に問題があるなら改善するべきだと思う。当然のことである。

だがしかし。死者を差別したり冒涜したり。死者を敬わない行為は断じて許さないぞと思ふ。唯一不落が貫く信条といいますか、極論すれば正義だと思ふ。こればかりは、敢えて絶対の価値として主みたいと思ふ。絶対の正義など空想だけど、個として一箇所は楔を打っておかないと思ふ。それが、こいつであり、今日の傲慢な文章なのです。

あなた方はは彼らの言葉に胸を打たれなかったのか。涙しなかったのか(あ、ワタクシは泣きませんでしたけど、体が震える思ひでしたよ、マジで)。真実の言葉は必ず伝わるのに。彼らには届かなかったのか。イデォロギィとか偏見とかそういう壁が阻んでしまうのか。君が好きって単純な言葉だって真実ココロから言えばきっと伝わると信じてる。そんな感じでWebでも、一言だったり1行だったり2行だったり3行だったりだけど、己の言葉で素直な言葉で綴られた日記は心を打つ(ことがある)。美を感じたりもする。

だがしかーし。

不落は真実の言葉なんか述べません。そもそも存在自体がウソなんだから。とことん虚偽の言葉を書き連ね、虚偽を極めるのさ。或いは膨大な虚偽の中にこっそり符号化した真実を混ぜ、一人でニヤリとするの。ニヤリ



さて、今日の文章はどこまで真実でどこまで虚偽でしょう?


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下駄不落斎(ふらくやん) |メイル諸悪の根源自己嫌悪(復刻版) profile


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