武ニュースDiary


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2011年01月25日(火) モンモンの謎(レッドクリフ)

「レッドクリフ」が2週連続で放映、というこのチャンスを逃して、
こんな古い記事はいつ紹介できるでしょうか?
映画の細部についてのいくつかの疑問にジョン・ウーが答えています。


月16日夜、「赤壁」の東南アジアプロモーションを終えたばかりのジョン・ウーが、
初めて「赤壁」に関するマスコミの様々な質問に応じた。
回答は大らかでユーモアに満ち、確かにミスを犯したところもあったと認めつつ、
映画の物語のほとんどは考証を経ているとの考えは崩さなかった。

1 「少し冷静にならねば」に答える

「興行成績がよいとお聞きになっても、冷静でなくてはなりませんか?」
諸葛亮と周ユが映画の中で言う「少し冷静にならねば」が、記者たちの最初の質問になった。
この問いに対し、ジョン・ウーはにこにこしながら答えた。
「冷静でなくてはなりません。
この映画は非常な大作でに大がかりで、非常に複雑で、
撮影期間はたくさん乗り越えなくちゃならないことがあったので、
私は常に冷静でいることが必要でしたよ。
資料を見たら、扇は実は周ユが持っていたものだとありました。
しかし、羅貫中が扇を諸葛亮にやってしまったんです。
ですから、私はそのところで、ちょっとからかっておかねばと考えた。
それに、彼らはあんな強大な敵に対抗しなくてはならなかったのだから、
冷静さは確かに必要でしたよ」

2 「萌萌と名づけよう」に答える

周ユが仔馬に「萌萌」と名付けるシーンは、この映画で観客が一番ひっくり返った個所である。
いったい荊州と萌萌にどんな関係があるのか?
ジョン・ウーはこの質問に答え、自分がパンダが大好きなので、
パンダの名前を参考にして、最終的にこの「萌萌」に決めたのだと語った。
そして、それはちょっとした間違いであったことも認めた。
「しかし、とても可愛い間違いだよね。
それにやっぱり荊州とは関係があるよ、パンダのいるのは南方じゃないですか(笑)」

3 諸葛亮、女歩きをする、に答える

諸葛亮は、孫権と対面したとき、ほこりを払ってから、
日本の女性のような小刻みな足の運びで前に出る。
ここを見て、多くの観客がなぜ諸葛亮はこんな歩き方をするのかと不思議に思った。
ジョン・ウーによれば、初めて撮った時代劇だったので、
歴史考証は他のスタッフの協力を得て行ったが、
金城武の歩き方と礼の仕方はアシスタント・ディレクターが教えてくれたものだということだ。
「アシスタント・ディレクターが歴史資料を調べて、
古代人が王に面会するときは必ず小刻み歩きでなければならなかったと言ったんだよ」

4 周ユと諸葛亮の「関係」に答える

記者たちから、ジョン・ウーに、なぜ周ユと諸葛亮はPart1でこんなに良い関
係なのかとの質問が出た。
ジョン・ウーは、それは実は彼の映画に一貫したテーマだととらえている。
つまり、情義と友情、そして恋人と国家に対する熱い愛である。

5 セリフへの質問に答える

記者からは映画のセリフについていろいろと質問が出されたが、
ジョン・ウーはリラックスして鷹揚に受け止め、
逆に、人生にはたくさんのプレッシャーがあるのだから、
みんなもっとユーモアを持ち、明るくものを見ればよいとアドバイスをした。
「おどけた台詞がもういくつか流行語になってしまっているのは知っています。
私たちが撮ったのは歴史の話ですが、今の暮らしにも関わりを持っている。
みなさん、人生に希望をもってほしいとも願っています」
(華夏経緯網 2008.7.18)


   BBS   ネタバレDiary    23:25


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