武ニュースDiary


* このサイトはリンクフリーです。ご連絡はいりません。(下さっても結構です。^_^)
* 引用は、引用であるとわかる書き方なら、必ずしも引用元(ココ)を表示しなくても構いません。
* 携帯からのアドレスは、http://www.enpitu.ne.jp/m/v?id=23473 です。
* 下の検索窓(目次ページにもあり)からキーワードでDiaryの全記事が検索できます。
* バナーは世己さんから頂きました。
* Se inter ni estus samideanoj, kontaktu al mi. Mi elkore atendas vin, antauxdankon!


目次前の記事新しい日記


2010年11月10日(水) やっと公式の写真が(武侠)……●更新●新浪娯楽の記事(途中)

出ましたね(^^) → こちら

記事もあります。回ってみます。


追記  12:30

いっぱい記事が出ていますが、新快報のこのリードが、わかりやすいので、まず借用し、
その文書の内容については、おそらくそのまま掲載してあるだろうと思われる
新浪娯楽の記事を後ほど、訳してみたいと思います。



ン・ウェイ、金城武が相継いで撮影から離れたのに続き、
ドニー・イェンも今日、全ての撮影を終えたのち、「武侠」製作班を去る。
このピーター・チャン監督初の武侠映画は、2011年夏公開と一応定められた。
このほど、映画ファンにこのミステリアスな映画のことをより知ってもらうため、
ピーター・チャン監督は「武侠についての文書」を発表し、
「『武侠』は武侠を変える」と言明した。
これにともない、4大主演者であるドニー・イェン、金城武、タン・ウェイ、
そしてジミー・ウォングのスチール写真も公開された。
(新快報 2010.11.10)


ピーター・チャンの解説(新浪娯楽)   22:50

「武侠」の4主演者スチール公開
ピーター・チャン、初めて謎を空かす


ピーター・チャンプロデュース・監督、ドニー・イェン、金城武、タン・ウェイ共演の「武侠」が
このほど、アメリカフィルムマーケット(AFM)――世界最大の映画見本市に最後から二番目に登場した。
これはピーター・チャン初の本当の意味での武侠映画であり、
「投名状(ウォーロード)」以後、4年ぶりの監督の座復帰作でもある。

「武侠」は我們制作有限公司、星美(北京)影業有限公司、鼎盛文化産業投資有限公司、
江蘇省広播電視総台、雲南電影集団が共同で2000万米ドルという巨額の資金を提供し、
2011年夏シーズンの世界同時公開を目指している。

雲南騰衝で2ヶ月近く、ひっそりと撮影していた「武侠」が、AFMで初めてその光芒をあらわした。
東南アジアの映画会社が争って買い付けるだけでなく、
北米、ヨーロッパなど、世界で最も重要なマーケットにおいても、広く関心を呼び起こしている。

「武侠」について問われ、ピーター・チャン、初めて口を開き、謎を明かした。

「武侠」は、武侠を変える (以下、口述とあります)

武侠とは何か

武侠は1つの名前でありうる、例えばジミー・ウォング(王羽)です。

私個人が記憶するところでは、ジミー・ウォングこそ、武侠の始まりです。
初めて見た武侠映画は何かと問われたら、覚えてはいませんが、
もし武侠映画はいつから始まったものかと尋ねられるなら、「独臂刀」だと答えます。
ジミー・ウォングは我々の世代のアイドルでした。
彼の後に現れたのが、チャン・ダーウェイであり、ブルース・リーであり、ジャッキー・チェンなのです……
ですから、私の心の中では、「武侠」という言葉は、ジミー・ウォングと共に誕生したのであり、
ジミー・ウォングであり、「独臂刀」が私の武侠の定義です。

武侠は、一種の態度でもある、例えば科学。

倚天剣にしろ一陽指にしろ、どれも実は自分の武功の長所を使って、
相手の身体上の弱点を見つけ出し、致命的効果をあげるものです。
ちょうど狙撃手がなぜ「ヘッドショット」を好むのかも同じ道理です。
一陽指がツボに触れるとき、弾丸は血管に入るとき、人体科学が始動し、武侠も始まる。
成功するか失敗するか、生きるか死ぬかはいずれも科学的算術の問題であり、これが「武」なのです。

武侠は選択でもある、例えば、信じること。

どんなときにも、どんな場所でも、人は誰でも異なった選択に直面しています。
信じるか、信じないか?
武侠映画の世界では、方剛は小蛮を信じ(「独臂刀」)、黄飛鴻は孫文を信じ(「黄飛鴻」シリーズ)、
李慕白は玉嬌龍を信じた(「臥虎蔵龍」)……
信じることは人と人の交わりの出発点であり、
ここから愛が、義が、生死別離さえもが引き起こされます。
これがすなわち「侠」です。

ピーター・チャンの「武侠」とは何なのか

私は、自分の最も不得意なのは武侠映画だと、ずっと言っています。

去年の秋、ある科学番組を見ていたところ、思いがけず、ある画面を見て興奮しました
――弾丸が、人間の皮膚、肉、血管、心臓を貫き、最後には死に至らしめる全過程でした。
見ながら、私は考えていました。
武侠映画の中の、ツボを打ち、一刀のもとに両断するというのも、
このような過程ではないのだろうか? と。

私は武侠映画のことを新しく考え始め、
今まで感じなかった興味がわき、そして「武侠」の物語が誕生しました。

侠客の劉金喜(ドニー・イェン)は名を隠し、妻の阿玉(タン・ウェイ)、
2人の息子とともに、辺鄙な小村に暮らしていたが、
ある不思議な殺人事件に巻き込まれてしまいます。
捕吏の徐百九(金城武)は「武術マニア」で、
捜査の過程で劉金喜が凄腕の持ち主に違いないと嗅ぎつけます。
思いがけず、まさに彼のその好奇心のせいで、
劉金喜はならず者集団の長(ジミー・ウォング)と生死をかけた対決をせざるをえなくなり、
家庭には危険が迫り、存亡にかかわる災難に見舞われることになります
……

「武侠」は、いかにして武侠を替えるのか?

自分の目を信じてはいけない
――これが「武侠」のアクションシーン全ての出発点です。

近年のいわゆる「武侠映画」を見ては、私はいつも、
ああいうあちこち飛び回るシーンに深い疑問を抱いていました。
あの、いわゆる大侠たちは、どうしてひとっ飛び数十丈も飛びあがれるのか、
またどうして十数階建の楼閣から飛び降りて無傷なのか?
私には全くわからず、だから私にとって、ああいう何の理由もない流血、
何の理由もない飛行、何の理由もない死、果ては何の理由もない復活は、
みな魔術であり、サイエンス・ファンタジーであって、武侠映画ではありません。

「武侠」で、これらは全て、きちんとした根拠を持ちます。
それを実現するために、鍼灸師、マッサージ師、薬剤師、力学の専門家から、
特殊効果の専門家までを招きました。
この人たちが来てくれたことで、「武侠」は全く新しい、緻密な裏の世界を手に入れることができました。
武侠には道理があり、根拠のない作り話ではないのです。

いつも尋ねられます、なぜ「武侠」というタイトルにするのかと。

この2文字は、人に無限の想像空間を与えると思います。
しかし、武侠は1つのジャンルであって、映画の名前になるのだろうか?
グーグルで「武侠」を検索しても、この映画が出てくるとは限らない!
途中で、私たちも「同謀者」というタイトルを考えてみたが、最後にはやはり「武侠」に戻しました。
というのは、この映画で、ドニー・イェンはショウブラザーズの元老と「アクション復興」を共謀し、
金城武は武術に入れ込みすぎて、偏執的なほど分析をし、
タン・ウェイも「家庭防衛戦」で後にひかず、
ジミー・ウォングは再び武術の世界に返り咲いて、その覇気には対抗できる者はない。
これらのすべてが集まって初めて、武侠が形作られるのであるから、
なぜそれを「武侠」と名付けてはいけないのか?
私自身はずっと武侠とは何ぞやと追求し続けてきて、
今、このジャンルに向かい合っているのだから、
それならいっそ、一番はっきりとした、一番直接的な2文字「武侠」を用いようではないか。

「武侠」は侠義の精神に戻ると同時に、あの飛び回るいわゆる「武侠」をも変えるのです。  (続く)
新浪娯楽 2010.11.10


長いので、いったん切ります。
  


   BBS   ネタバレDiary    6:40


前の記事あさかぜ |MAIL

My追加