| 2010年10月29日(金) |
ドラゴン桜再読で痛いトコ突かれた泣かされた |
安易に?(いや不安からか)浪人という単語を口にしてみた息子に対して 「あと一年以上も受験生の親をやるなんて、イヤだからね!」と思ってしまったけど、 その心理は親のエゴだと猛省させられた。
数年ぶりに最近読み返してみたドラゴン桜(著・三田紀房)、特に17巻の半ば。そこから痛烈に指摘された。
あれは、本当に子どものことを思っての気持ちじゃなかった。 つまり親である「私が」早く安心してラクになりたかっただけ。 他の誰でもなく「私が」夫からの有言無言のプレッシャーをかけられ求職活動も制限されてるような身分を不自由がっていただけ。 ただ単に、親の「私が」子の受験の終わりとともに緊張感から解放されたい、子どもの将来を心配しなくていい暮らしに突入したいだけ。ってことを。
要するに、誰のせいでもなく私の怠慢の反映。甘えたエゴでしかなかった。 受験生の親であろうが、通常の親であろうが、親は親。親の存在価値は同じだし、やるべきことも同じ。ただ支えて見守るだけ。
・合格を願う気持ち=結果を求める気持ち。険しい道を頑張って歩いている子どもに背負われながら、合格という門まで早く連れてってくれと親が我儘を言っているだけだ、と。
・結果を求められる世の中だからこそ、そこへの努力過程を認めてやれるのは、親だけだ、と。 頑張り自体を見てやれるのは、せめて親だけ、親にしかできない仕事だ、と。
・本当に苦しいのは子ども。彼が頑張っているのに、親が「一喜一憂しない」ことぐらい我慢できないでどうする、と。
この漫画作品に出てくる、過去に傷ついた高校生たちの歴史、 直美は親から「どうせアンタなんか」と言われ続けヤル気を失い 勇介は親から優秀な兄弟と比べられ中学受験失敗で挫折し エリカはもともとデキたばかりに親から過剰な期待をかけられ逃避し それが今まさに「親のためじゃなく自分のために勉強したくてする本当の受験生」に生まれ変わった姿、 親のためじゃなく自分のために何かを選びとって努力するまでに成長した姿、
読んでると貰い泣きの嵐になるので、週末の涙腺デトックスに手っ取り早いだけじゃなく 自分にとっての反面教師例がそこに豊富にあって、やはりブックオフに売らなくてよかったと思った。
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