気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2010年11月01日(月) “万聖節”に寄せて(上澄み良いとこ取り程度の信仰心)

今日、11月1日はキリスト教の万聖節だそうな。不勉強にて知らなかった。
で、その前夜祭が10月31日のハロウィンで、元々はケルト民族の行事だったそうな。

※キリスト教のお祭りで感謝祭というのはアメリカでは11月の第四木曜日らしい。で、復活祭(イースター)というのは春分の日からの満月に続く日曜に行われるそうな。
これらは、クリスマスやバレンタインデーやハロウィンに比べると、あまり日本に浸透していない気がする。

「聖☆おにいさん」を安心して読んでいられる日本人として、

民に神の言葉を説いてまわっただけで磔刑にされても誰をも恨まずに寧ろそんな極限状態な中で全ての人の子の持つ罪を代表して被って許す、聖人の大いなる愛の力はスゴイと思うし。

一方、生老病死の苦しみから人々を救うため貴族の身分を捨ててキツイ修業の末に、諸行無常な森羅万象を悟ったが故の慈悲と叡智もハンパ無いと思うし。

イスラムの教えにはあまり馴染みがないけど、ルーツ的にはキリスト教の兄弟のようなもので、その時代と土地に合った慎ましい戒律や道徳を人々にもたらしてくれていたのだろうと想像する。今の時代となっては、狂信的な殉教とか他宗攻撃とか男尊女卑とかのネガティブなイメージばかり殊更伝わってくるけども。それって他の宗教にも昔は少なからず含まれていた要素でしょう。

と三大宗教を手前勝手に解釈しつつ、土日の振り返り。

娘は友達に誘われて、中間テスト明けの土曜、授業の後で
ミニハロウィンパーティに参加。
あの雨の中、女の子6人で学校近くの児童館へ繰り出し
魔女っ子のとんがり帽子などで皆で扮装してお弁当とおやつを食べ
卓球などして遊んで帰ってきた。
そういうことが楽しい年頃。ハロウィンの意味もよくわからなくても。

日曜は
知情意のエネルギーをすっかり使い果たしたっぽい娘はゴロゴロのんびり、
息子は弁当持参で早朝から夜まで河合の全統マーク模試、
夫はお義母さんの様子見に出かけたあと、また何か懲りずにテスト登録、
(今度はPMPの試験だそうな。何それ、わかんない。プロジェクトマネージャーなんたらかんたら)

※追記(11月7日)
そのPMP(プロジェクトマネージャープロフェッショナル)に
準備期間1週間でまさかの合格を果たした夫は
試験会場から携帯メールをくれたので、
私はスーパーイナダで即行でウメッシュを買って帰宅を待ち
夫はマッターホーンで四人分ケーキを買って来
7日の夜はちょっとしたお祝いをしたのだった※

私はPTAで知り合った知人が所属する合唱団の発表を見に来てとメールで誘われて、1日の日曜昼間は一人でそれを聴きに行ってみた。

その知人のステージに行ってみて驚いたのは、
初めて知ったけども、その合唱団というのは某宗教団体に属するもので
そのステージもその教団の周年行事の中の1プログラムのひとつに組み入れられていて
初めは会場を間違ったのかと思ったけど、そうだった。
案内する役員さんはどこまでも感じ良く礼儀正しく
アジアンな香りに包まれた会館の中の一室、大広間の畳の上で、
ドレスを着て歌う彼女たちの表情は喜びに溢れていたし
団体の名誉会長先生が作詞したらしい歌が終わる前に
拍手する観客(多くが信者、会員と思われる)の熱気もすごかった。
歌が終わってそのまま間髪入れずに、某有名音楽プロデューサーがゲスト講演、
彼とこの教団との出会いを語っていた。
独特の高揚感と幸福感に満ちた聴衆の空気。いわゆる「生命力」だ。

この会場の空気と私の内心の気分のズレ、ああ、これと同じ感覚は、経験したことがある。それは懐かしい。

あとで知人は「びっくりしたでしょう、説明不足でごめんね、でも来てくれてうれしかったー有難う!」と電話をくれた。

私も昔、彼女のように
一時代、ひとつの価値観にドップリと浸かっていた(浸からされていた)過去を持つ(為にそういう精神世界なことを考えられるようになった)ので、
今の彼女の気持ちも立場もよく分かるし、
心の拠り所をぐらつかせて今の幸せを奪うのも本意ではないので
ネガティブな感想は一切封印して、とにかく当たり障りない範囲で彼女をねぎらう言葉をかけた。
(だたやっぱり、誘ってくれる前に教団についての説明があったほうが良かったと思うけどなあ。フツーの人なら引くよ?)

本心では、彼女に向かってもうちょっと踏み込んで言いたい。言わないけど。
信仰する一般人の一人一人の心には善意しかなくても
そのひとつの価値観に染まらされ、それを唯一最高として、他を見せなくさせる仕組みが、
その教団幹部の組織欲を利することに利用されてしまうことがあるよ、と。
それは内部から上層部への批判や内省を排除してしまい
相容れない価値観を取り込むことは罪、のように思わせられてしまい
つまり教団都合のマインドコントロールがうまくいけば
他宗の神社仏閣教会に対するマイナスの先入観も植え付けられ
世界平和の美名のもとに
そのひとつの価値観にこだわる人々が世の中に増えていく、
それは本当の平和なんだろうか?と。

そういう意味で私は
日本人の大多数の宗教感は、イイカゲンなようで実はこれこそが素晴らしいと思うに到った。
ハロウィンもクリスマスも初詣もお盆もこなし
眼の色の違う東西の聖人の教えのエッセンスの、好きな所を良いとこ取りで選んでみる自由。
どれにも誰にもひとつだけとこだわらないので、どれにも誰にも触れられる、博愛っていうか寛容。
所詮はどれも、人間である誰かが考えだした、その時代を生きる知恵の数々。一長一短。好きか嫌いか。
宗教戦争なんて馬鹿らしいと思う感覚、そんな程度の信仰心でいい。
納豆にネギを入れる派も・入れない派も・納豆受け付けない派も、互いの存在を尊重し合うような感覚、
世界平和ってのは、そんな気持ちの延長からできあがることかもしれない。


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