| 2009年03月23日(月) |
束の間の羽伸ばし、正味5時間。試験に出ない必須栄養、素敵な無駄 |
最近ね、一か月経ってもまだカジモドの狭い左目に悩殺されるとか切ないとか言って恋していられる自分が、 大昔は面喰いだったことを思うと可笑しく、 もう、人間の美醜や善悪の基準なんて、なんだか分からないというか 何でも在りかも、と。
「モッキンポット氏の後始末」(著・井上ひさし)を友人からの薦めで読み終わったとき、 寛容とは諸刃の剣ではあるけれど使いようによっては素晴らしいなと思った。
「このひとには、こんなことを打ち明けても、わかってもらえないな」と夫に感じた時から、 どんどん秘密が増えてゆき、 PCで、わかる人にだけわかればいいようなことを発信して繋がって、 昔ながらの典型的な主婦像からハミ出すような 微妙な価値に価値を見出す心の働きなど、 集めてもムダなコレクションと看做されるだろうと思えば、 例えば夕食のときに、子どもが学校であったことを喋りまくる場で (私も、好きなこととか好きなヒトとか興味のあることや出会いや出来事を喋りまくりたいな)と思っても 上手い言葉が出てこない。 その妻からの沈黙を不審だとも思わない彼。
思春期に無口になる子ってこうなのかも。気持ち分かる。
遺言として誤解のないように書いておくと 私はパパがキライなわけじゃないんです。決して。 むしろ、なぜか、嫌われたくはないから、 その分、苦心してるんです。 彼の思想のお陰で衣食足りて礼節を知ることができている という恩も忘れていないつもり、 認めているつもり。 けど、それとこれとは別。
夫の休日が実は嬉しくもない、っていう夫婦関係って どうなの。嬉しいと思えない私が未熟者か。コドモか。
金曜からの三連休。 明日からの七連休(夫が今まで取りきれてなかった休暇をここにまとめたそうだ)。 どう過ごそう。 「黒部の太陽」の録画をチェックするなら今日しかない。 間違ってもユースケ氏に見とれてるところなんて隠し通さなければならないなあ。
彼の求める妻像、求める母親像、が私のニーズと噛み合っていないけれど 私の求める夫像、求める父親像、が彼のニーズと噛み合っていないけれど 矯正されたくもないし矯正したくもないし 最大公約数が大事なもんだから壊したくないし ウソも方便なの。
こういう結婚を招いたのは、それは誰かのせいにしようと思えばできるけど、結局自分自身の在り様だったのだから 自分で引き受けるしかない。 こういう結婚を、子どもがもし見つめたら、それは不純だと言うかもしれないけど 価値観の合わない二人がなぜ一緒にいるのか訳がわからないと言うかもしれないけど 最大公約数だけじゃなく、たぶん、何かの修行か勉強に繋がってるの。敢えてこの組み合わせでいることで。 彼にとっても私にとっても。 食わず嫌いなものを無理やり味見させ、味見することで。
ただ、私が今、その勉強をさぼり、ラクに流れてる。 極力波風立たないようにと。 そのほうが精神衛生を保っていられ、子どもに対して機嫌よくしていられるから。
で、現状、 ここ一年は何よりも娘の中受のフォローが最優先だと、 「娘への家庭教師、その下準備、勉強のみならず精神的なフォロー」 それ以外、この一年は優先すべきものは皆無だと、 そこに寸暇を惜しめ、と、 彼は私に希望する。 理屈は分かるが。 それ以外の趣味娯楽にウツツを抜かすことを自らにも許してないし妻にも許してない。 その思想のアソビのなさを私は内心、評価できないし 彼がそうならば一層私は娘の息抜きでいなきゃならないと密かに決意しているが それはあくまでも陰ながら息抜きになってやりたい。 美味しいところ取りじゃなく、勉強意欲も削ぐこともなく前向きな息抜きになれるように アソビの部分も含めてこその自己肯定を外さないように、且つ パパとは違うやり方で、「合格したい」という彼女の願を支える道はあるはずだ。
で、今、 妹からもらった「火の鳥」(著・手塚治虫)に 今更ながら傾倒し パパに眉を顰められても、子どもにどんどん読ませてる。 これが子どもの魂をより一層磨き 一皮も二皮も剥かせるカギになるのは 間違いないから。
夫がこの漫画を手に取る日も無いとは言えないけど 遠いだろう。 遠くても目に見えるところに置いておく。
この日記が目にとまった人に必ず覚えておいて貰いたいのは、 「火の鳥」は教育上も大変有益なので 一家に一揃い置くなどして、一生に一度は1巻から13巻まであまねく漏らさず読んでよ。ということ。
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