(仮)耽奇館主人の日記
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| 2005年08月10日(水) |
極道和尚、野坂昭如を語るのこと。 |
ここんとこ、野坂昭如、自伝、火垂るの墓でアクセスしてくる人がとてつもなく多い。 で、今東光が野坂昭如について書いていたのは一体何という本ですかというメールも来ているので、以下に、屋根裏をひっかきまわして発見したくだりを引用しよう。集英社の、「続・極道辻説法」という本で、今東光がプレイボーイの読者のために人生相談をやっていたものをまとめたものである。
○父と弟の面倒で勉強ができない 僕は二十歳になる大学二年生。昨年の九月に母が他界し、その後、僕が家事をやり、十歳になる弟の面倒をみている。母の遺言では、弟を親戚に預けるつもりだったが、父が反対したのだ。僕は弟のためと新しい家庭を作るために父に再婚を勧め、父も同意して「一年以内に何とかする」と言ってくれた。しかし、いままでに二十余人ばかり見合いをしたが、全部父の方から断ってしまった。父は「犬や猫じゃあるまいし」とか「子供のために犠牲になってまでも再婚しない」と言っている。友人は「そんな家など出て、独立して働け」と言うけど、そんな無責任な行動をとる勇気もない。このような状態がずるずる続き、最近、僕は、将来に対する不安、勉強の遅れに対するあせり、いろいろな嫉妬などで感情的になり、理性的な行動がとれなくなり、弟に当たりちらすようになってきた。このふがいない八方塞がりの僕に知恵を貸してもらいたい。(浦和市上木崎 匿名希望)
野坂昭如が十幾つという時、養子にもらわれていった。その時に、三つくらいの女の子をもらったんだ。そのうちで、将来、野坂のカカアにでもするつもりだったんだ。それが空襲で両親がやられた。目の前でおっかさんが焼け死ぬのを見ながら、その妹を担いで野坂は逃げた。それから六甲の麓の芦屋のあたりの断崖絶壁に掘ってある穴で暮した。闇市に行っちゃあ、食料を盗んできて食わしてたんだ。ところが、子供はミルクでも生のまま飲ましちゃあいけないのに、そんなことわからんから、何でもかんでも歯のないうちから食わせたから、胃腸をこわして死んじゃった。それを今でも野坂は、「おれが殺した、おれが殺した」という自責の念を持っているんだ。 人間て、そういうもんでな。おめえは弟の面倒をみるのがいやさに、おやじを結婚させようとしたり、勉強の邪魔されるんで当たりちらしたりね。これは弱者のすることだぜ。当たりちらしたかったら、てめえのどたまなり、向こう脛なり蹴っ飛ばしゃあいいんだよ、自分で。弟を殴ったり蹴ったりなんぞ間違ってもするなよ、なあ。 それで「家出しろ」なんて勧める野郎もバカな野郎で、そんなことしたら、弟はどうなるんだい?野坂が十何歳くらいで、その妹を養うために闇市をさまよって、そして養ったというその辛さとか、人間に対する愛情とか、誠実さとか、そういうことを少し考えてみろと言いたい。おやじに嫁を当てがってやったところで、今度はどんな女と再婚するかわからねえじゃねえか。二十何人目の女が、だ。鬼のような女かもしれん。その時に一番いじめられるのは、一番弱者の弟だよ。それを今度はてめえが朝昼晩守ってやらなけりゃいけねえんだ。それこそ、勉強どころの騒ぎじゃねえ。 何とぼけてんだよ、こん畜生は!?何のために兄貴に生まれたんだ!?全くバカだ。てめえという男は腹立つよ、こういう無責任なことぬかす奴は。
・・・・・・
闇市をさまよった少年の野坂を想像してみるがいい、反戦だの、平和だののヌルいテーマが一片たりともその心に浮かんでいるだろうか? すべて、人間そのものの情のなかに立ちかえっていくのだ。 情愛、 情念、 情欲・・・ 野坂昭如は自分自身の「情」を徹底的に書き出すことで、自己責任を果たしたとも言えるだろう。 そして、今東光もまた。 さらに、今の弟子である瀬戸内寂聴も。 自分自身を徹底的に生き抜くことに比べたら、戦争の悲劇など屁でもないのだ。 ほんとうにそうなのである。 私も前へならえの国民、市民であるよりは、私自身の「情」をしっかりと見据えて生きたい。 今日はここまで。
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