愛なき浜辺に新しい波が打ち寄せる
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「…これは、どこに向かって行ってるんだ。あ、バス停?」 真田への問いかけだったが、独り言のように声が小さくなる。 「一旦、家に帰る。そして車を出す。海を見に行きたくなった」 急に海を見たくなった、とか、そんな、映画的な、ドラマ的な。 「はー、海か。寒そー」 「どうする?」 「ん? どうするとは?」 「一緒に行くのかやめとくのか」 「行くよ」 どこへでも。 「じゃあ、車取ってくるから、どっか本屋とか、そのへんで時間潰してて」 「はーい」 ちょうど近くに本屋があったので、そこに入って待つことにする。何気なく目にしたタウン誌の表紙には、「寒くても平気! 冬のデート!」とあった。パラパラめくると、イルミネーションやらスノボやら温泉やら。ふーん。意外なことに、海も候補に挙がっていた。誰もいない浜辺。容赦なく冷たい海風。彼のコートにくるまれて。沈む夕日を静かに見つめる。 (やってろやってろ。まあ、寒い海で酔いしれていよーが、家でごろごろいちゃいちゃしてよーが、幸せな人々は幸せ、って、ただそれだけのことなんだよな) 適当に立ち読みしてるうちに、真田が車で迎えに来たので、乗り込んで海へ。どこの海? そんなの、決まってる。中二の夏に行った海だ。このへんで気軽に行ける海っていったら、そこしかないし。あれ以来、真田と一緒に行ったことはないが、海には何度か行った。でも、海の記憶は、中二の夏休みのだけが鮮明だ。 「なあ、一馬、さっきのことなんだけど」 車内では、しばらく二人とも無言だった。普段なら気にならない沈黙も、今は違う。 「望月さんとのこと?」 「そう。11月、いや10月だったかな。別れたっていうか、ふられたっていうか。言おうと思ってたんだけど、なんか、つい、言いそびれて。すまん。今回、このような形で知られることとなり、まことに遺憾です」 「知ってた」 「えっ。あー、母さんから聞いたんだな」 若菜の母親と真田の母親は仲がいいから、若菜母が真田母に言い、そこから真田に伝わったと。 「そうだよ」 「いつ?」 「10月」 「はやっ。何だよもー、そんな早くから知ってたんなら、ちょっとは突っ込めよー」 「人がせっかく気を遣って、そっとしといてやったっていうのに」 「はー、情な。へこむわ。そっとしとくって、俺は腫れ物かよ」 「腫れ物」 真田がちょっと笑った。笑うとこか? 何で別れたのかとか、聞かないんだ。 「着いた」 夏は混み合って、警備員が誘導していた駐車場は、当然だが、ガラガラで閑散としていた。かなりの寒さを覚悟して車から降り、砂浜に向かう。思ったより寒くなくて拍子抜けした。風があまり吹いてないせいか。潮はかなり引いていて、遠くに見える海には波は立たず、海面は凪いでいた。それでもやはり、冬の海は荒涼としている。人気がなく、ただ足元に砂浜が広がっている。 (海が遠い。遠いな) 引ききれば、寄ってくる。今は遠くても、また近くなる。そして、再び、遠ざかる。茫漠と広がる砂浜。そこに愛の言葉を書き記したとしても、そのうち波にかき消される。一旦波にさらわれてしまえば、以前本当にそこにあったのかどうかがあやふやになる。確かにあったはずなのに。確かに? 確かなものなんて、あるのだろうか。あってほしい、という思いだけが、この胸の中にある。それすらも、確かではなく。右手には、岩場が見える。昔、そこは、探検の場で、子供にとっては魅力的だった。中二の夏以来、その場所は、思い出したくないような、でも大切な、苦くも甘いイメージとなった。岩場は、夏と冬では趣きが違い過ぎる。今見ると、絶望した人の死に場所のようだ。殺伐としている。真田は、海でも岩場でもなく、砂浜を見ていた。 「後悔なんかしても、意味がない」 視線はそのままで、真田が言葉を発した。砂浜に着いてから、二人の間にほとんど会話はなかった。真田の声は、低く小さかったが、静かな砂浜に、こだまするようだった。言葉の意味を計りかね、若菜は何とも返せない。 「言わなければよかった、って、何度も思った」 それは、中二の夏のことだろう。 「でも、言わなかったからって、何なんだ。その後、避けられることはなかっただろうけど、根本的には変わらない。言っても、言わなくても、結局は同じなんだ。どっにちしろ報われない。だから、言わなきゃよかった、なんて思っても意味がない。でも、こんなふうに思うのは、結人が、高校に入ってから、普通に接してきたからだよ。もし、避けられ続けてたら、言わなきゃよかった、って、もっとすごく後悔するだろうし、後悔しても意味ないって分かってても言い切れないと思う。つまり、これで、よかったってことなんだ。結果的には。これで、いいんだ」 真田は、やっと若菜を振り返った。 「もう、帰るか」 「泣くなよ」 真田は、泣いてなどいなかったが、若菜には、泣いてるように思えたのだ。だからって、もっと他に言いようがあるだろって感じだが。 「泣くかよ。中二で告ったら避けられて、高二で望月さんと付き合うって報告されて。もう、そのとき、部屋で一人、声を殺して泣いて終わったんだよ。心がズタズタなんだ。今更、お前の前で泣いたところで」 「…ズタズタて…」 「でも、ズタズタなのは、結人のせいじゃない。お前には関係ない。俺が、勝手に、一方的に、闇雲に、自分の意志でもって、ズタズタになってるだけなんだ。だから、そんなことで泣くのは違うし、泣くにしたって、家に帰ってから一人で、って、おい! なんでお前が泣くんだ…」 若菜の目から、知らず知らず、涙がボロボロ零れていた。鼻水まで出てくる。 「あー、いかん、止まらんなった。ハンカチかせ」 呆れた様子で差し出されたハンカチを奪うように取って、涙を拭って、鼻水も拭き取る。 「はい、どーも」 平然と返そうとすると、 「汚い。洗って返せ」 「へーへー」 「全く、お前って奴は」 呆れてる。でも、仕方ないなー、って感じでいるのが伝わってくる。許されている。受け入れられている。誰が、家族以外の他に誰が、掛け値なしに、自分を許し、受け入れてくれるというんだ。 (全くお前って奴は、だと。そんなん、そのままそっちに返すわ) 「一馬、」 一歩踏み出して、真田の両腕を掴んだ。真田の目が、驚きで見開かれる。抱き締めるのか? あわよくばキスも? 口付けて、抱き締めて、「ほんとはずっとお前のことが好きだった」とかなんとか? まさか。若菜は、急に足から力が抜けて立っていられなくなったように、そのままずるずると崩れ落ち、砂浜に跪いた。真田の腕を掴んでいた手も滑り落ち、砂に手を付く。 「俺が悪かった。すんませんでした…」 「ええっ、土下座!? ちょっと、結人、やめろって」 真田は慌ててしゃがみ込み、若菜の肩を掴む。土下座するつもりはなかったんだけど、なんかそういう感じになっちゃった。 「顔上げろよ」 真田に言われて、素直に顔を上げ、手に付いた砂を払った。立ち上がる気にはなれず、砂浜に座り直した。まだ一度しか着ていない新しいスーツが砂だらけだ。 「取るよ、責任」 「責任?」 「ズタズタの責任だよ。俺のせいじゃん。なんやかんや言ったってさ、俺のせいだろ」 真田は無言で若菜の目をしばらく見つめ、すっと逸らし、 「そんなのいい。責任なんて感じる必要ない。これからも友達でいてくれるならそれでいい」 言うだけ言って、立ち上がった。 「帰ろう、結人」 真田が手を差し出した。大きな掌だった。 (夕焼けを見てないのに帰るのかよ。海に沈む夕日を見たかったのに) 「一人で立てれるわ」 言いながらも、真田の手を取る。 (あったかい…。なんかまた泣けてきそうなんだけど…)
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