愛なき浜辺に新しい波が打ち寄せる
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そういや、真田は、家庭教師のバイトを始めたんだよ。なので、それなりに忙しくなって、若菜とあんまり会えなくなった。今までは、とにかく真田が若菜の都合に合わせてたんだけど、そういうわけにもいかなくなってしまった。街はクリスマスムード一色。姉は、ぼちぼち引っ越し準備を始めてる。家電とか大型家具は新しく買うし、ちょっとした物は引っ越し後にでも取りに来れるしで、荷造りはそんなに大変ではないはずなんだけど、片付けが苦手な姉は四苦八苦している。姉は、クリスマス・イヴに入籍して、その日はけんちゃんと過ごすけど、25日は実家にいて、家族でクリスマス会をしたいらしい。若菜は24日も25日も当然のようにバイトなので、かなり遅れてからクリスマス会に参加ということになる。 24日、コンビニのバイトが終わって、携帯を見ると、着信があったのに気付く。同じ居酒屋でバイトしてる、二つ年上のフリーターだ。着信の後に、LINEが入っていて、『今晩のシフト、かわって』だと。代わるったって、こっちだってシフトが入っているから無理だ。店を出てから、近くの公園のベンチに座り、電話をした。 「おつかれ。LINE見た」 『おつかれー、ごめんごめん』 「俺、今日シフト入ってるよ。代われない。だから、」 『そうじゃなくてー。俺はシフト入ってないんだよ。入らせて、ってこと。その代わりにどこかで入ってほしい、ってわけじゃないから。単に、今日、入りたいの』 「ほー。それは初めてのケースたわ。いいけど、何で?」 今日は他に誰が入ってたっけ。狙ってる女子でもいるのか? とか考えてみる。 『それがさー、聞いてくれよ、若菜。可哀相な話。昨日、彼女にふられた』 「あー、それはそれは」 『クリスマス目前にふるってひどくないか?』 「クリスマス終わった途端にふる方がひどいだろ」 『どっちにしろひどい』 「どっちにしろしゃーない」 『はー、クールだなー。俺はさ、家に一人で居たくないんだよ。色々考えちゃって落ち込むわ。友達は誰も掴まんないし、バイトして気を紛らわすんだよ。お前、今夜空いたし、どうすんの? 彼女と会えるな。いいなー』 「いやいや、彼女いないから。こないだふられたから。帰って寝るわ」 『ふられたんだ!? おおっ、同士! 今度飲みに行こうぜ!』 「嬉しそうだな。あ、俺、基本的に飲めないから。まあいいわ。また今度な。じゃー、今晩よろしくー」 こんなこともあるんだな。突然訪れた自由時間。若菜って、コミュニケーション能力があって、誰とでも話せるので、友達が多いと思われてるんだけど、知り合いが多いだけで、浅く広いんだ。友達といってすぐに思い浮かぶのは、郭と真田と星野の三人くらい。 (急に暇になってしまった。英士って、クリスマス・イヴ何してるんだろ。どうでもいいけど、ちょっと連絡してみよ) 「何してんの? ひま?」 と、LINEを送ってみる。すぐに、 『暇じゃない。雑談はしない』 と返ってきた。面白くなって、電話をかけてみる。 「何が、暇じゃない、だよ。そっこー返信してるし、暇じゃん」 『結人と雑談する暇はない』 「クリスマス・イヴに何してんの?」 『通常通り。切るよ』 ほんとに切られるし。郭は、若菜の調子から、何となくかけてきただけだと感じ取ってから切ったんだ。若菜がほんとに聞いてほしいことがあるときは、まあまあ聞いてあげてます。若菜はぼんやり携帯を眺める。 (星野は仕事中だしなー。帰ったら優しくて綺麗で賢い奥さんがいるし。一馬は何してるかな。学校は終わったかな。誰かと何か予定あんのかな) ほんとは、真田のことが一番最初に思い浮かんだんだよ。でもなんか、あえて意識から外したというか。真田とはしばらく会ってない。 (よし、連絡してみるか。不自然じゃないよな。普通、普通) とか、何でこんなこと考えちゃうの。もっと気軽に連絡したらいいのに。 「久しぶり。元気?」 『元気だよ。どうしたんだ?』 「今日、夜のバイトが急になくなったんだけど。今から暇?」 問うた後、しばらく間があった。予定があるのかな。何かあるならいいよ、って言おうとしたところで、 『うん、大丈夫。今、どこ? 迎えに行くけど』 「コンビニの近くの公園。迎えはいらない。家に行っていい? それとも、どっか行きたいとこがあるのか? 俺は、特に、行きたいところがない。行くところがない。どこに行けばいいのか分からない」 どこにも行けない。 深い意味はなく、何となく言葉を繋いだだけ。なのに、切実な響きを持ってしまうことがある。思いがけず、自身の心の脆い部分に直面してしまう。そうじゃない。弱ってなんかない。ちょっとした感傷なんだと、打ち消そうとして、実際、大半は打ち消せて、でも、欠片は残るし、突き刺さるし、直面したときの動揺が、まだ胸を震わせてる。きっとこの震えは、電話を通して、相手にも伝わってしまっている。 『分かった。今、家にいるから。いつでも来ればいい』 茶化さず、追及せず、戸惑いを表に出さず、ただ受け入れる。低く、静かな声。ぶっきらぼうなようだけど、根底に、優しさが、温かさがあることを知ってる。痛いほどに。 「じゃー、今から行くから、よろしくー」 本当は、「すぐ行く」とだけ言って電話を切り、急いで向かいたい。一刻も早く会いたい。それを抑えて、のんびりした口調で言い、慌てないよう真田家に向かう。 真田は、寒い中、門の前で待っていた。 「中で待ってたらいいのに」 「待ってたわけじゃない。そろそろ着くかと思って出てきてみたら、ちょうど来たんだ」 「あ、そう」 ほんとに? 鼻の頭と頬が赤かった。手を握れば分かるだろう。きっと冷え切ってる。握らないけど。乗ってきた原付を駐め、門をくぐる。玄関までのアプローチが長い。 「髪切った?」 こちらをちらりと見ながら、真田が言った。 「あー、一ヶ月以上前だけど。そんなに会ってなかったっけ」 一ヶ月なんてすぐ経ってしまう。一週間ごとの感覚で生活しているから、普段は意識してないけど、月の終わりや初めになると、えっ、となる。もう12月の終わりなんて。今年が終わってしまう。来年が、始まってしまう。 真田の母親は、若菜の来訪を歓迎した。 「いらっしゃい。家に遊びに来てくれるなんて、久しぶりね。ケーキ、食べってってくれる?」 「いいんですか? ありがとうございます」 ケーキを食べてから、真田の部屋へ。 「家庭教師のバイトどう?」 若菜が聞くと、 「普通」 「何だよ、普通って。適当だな。なあ、お前って、将来、何になりたいとかあんの?」 「教員。中学の数学の先生」 「今思い出したけど、小6のとき、学校の先生になりたいって言ってたな」 「ああ、うん」 結人は将来どうすんの、って聞き返されるかもと思ったが、それはなかった。聞かれても困るけど、聞かれなかったら聞かれなかったで、なんか哀しい。 「いい先生になりそう」 素直な感想だった。真田は将来のことをちゃんと考えてた。やっぱりな、という感じだ。確認したら、二人の差を改めて感じて落ち込む気がしていたけど、そうでもなかった。 「生徒からも、他の先生からも信頼されそう」 「はあ?」 「そんで、綺麗で賢い同期の女性教師と結婚したりとか」 「何、その妄想」 呆れたように真田が言うのに、笑って返す。 「横になっていい?」 「いいけど」 あー、と声を出しながら、人の家で遠慮なく寝そべった。ご丁寧に差し出されたクッションを受け取って、頭に敷く。 「大丈夫か?」 真田が、若菜の額にそっと手を置いた。ひんやりしてるかと思ったが、温かい手だった。 (…おい、触れるのか。そんな、簡単に。俺は、触れないのに) 熱はない、と言って引こうとする手を、思わず掴んで引き止めてしまった。思いの外、強い力で。 「もうちょい、このままで。落ち着くわ、なんか」 本当に言葉通りで、気持ちが穏やかになっていく。しばらくこのままでいさせてほしい。そこには、欲望も駆け引きもない。と思う。でも、ためらいはあって、胸の奥がヒリヒリする。掴んだ手首から、相手のためらいも伝わってくる気がする。 (ああ、もう、どこにも行きたくない。どこにも行ってはいけない、という世界に行きたい。って、何だそれ) 意識がぼんやりとしてくる。大きな波のように、眠気が襲ってくる。 「結人」 優しい声。 (なに?) 「もうすぐ成人式だな」 (成人式? いやいや、俺、行かないよ) 「…寝てる?」 そう。若菜は寝てしまった。 目が覚めたら、夜になってた。毛布が掛けられている。 「うわ、ごめん、本気で寝てたわ。あ、毛布ありがと。今何時?」 「7時半」 「あー、一時間も寝てたか。わりーな」 「いや、別に」 「寝顔、可愛かっただろ?」 そんな冗談を、真田は否定も肯定もせず、軽く笑って流した。 (…あ、 なんか、今更ドキドキしてきた…) 額に当てられていた掌の感覚が蘇ってくる。 「夜ご飯、食べて帰ったら?」 「…あー、うーん、どうしようかな。いいの?」 「うん。喜ぶよ」 真田の母親が。お言葉に甘えて、久々に真田家で夕飯を一緒に食べる。クリスマス・イヴだから、食卓にはクリスマスに相応しいごちそうが並んでる。クリスマスじゃなくても、いいもの食べてそうだけど。真田の母は、若菜が食卓を共にすることを本当に喜んだ。もし自分が遠慮して帰ったら、この食卓を真田と母の二人で囲むのか、と思うと、それはそれで幸せなはずだろうに、少し息苦しい感じがした。そんなことを思うなんて、失礼だけど。
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