愛なき浜辺に新しい波が打ち寄せる
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郭が下校しようとすると、校門で、元教え子が待っていた。去年度、家庭教師をしていて、D高に受かった子だ。I君としよう。 「郭先生」 「どうしたの? あと、先生っていうのはちょっと…」 もう家庭教師やってないからな。でも、Iは、呼び方についてはスルーして、 「塾長から聞きましたか? Jさんのこと」 Jさんとは、塾長が、郭に家庭教師をやってほしいとしつこく言ってる、中二の子だ。I家とJ家は近所で、昔から家族ぐるみの付き合いをしている。I母が、郭に家庭教師をしてもらったおかげで息子がD高に受かった、というようなことをJ母に言ったものだから、J母が、郭に家庭教師を頼みたがっているのだ。 「聞いたけど、お断りしたよ。申し訳ないけど、自分の勉強もあるし、」 「郭先生にもご都合がおありでしょうが、無理のない範囲で、Jさんをみてやってもらえませんか? 家庭教師はもうしないと聞きましたが、それが本当なら、勿体無いと思います。僕は、郭先生に教えてもらっているうちに、勉強するのも悪くない、って思うようになりました。それまでは、苦痛でしかなかった。苦痛でしかなかったことを、そうでなくするなんて、すごいことだと思います」 これは、母親に言わされてるのか、本心なのか、どうなのか。Iは、少しも物怖じしない、遠慮のない態度だった。 とにかく無理だと返そうと思っていたのに、 「考えさせてほしい」 と、答えてしまった。
真田が夕方からシフト入ってる日、上がる時間に、郭がバイト先に来る。去年度は、家庭教師帰りに寄ることがあったんだけど、今回は、夜わざわざ真田に会うために、コンビニに来たよ。勿論、公園でマチカフェです。 ベンチに並んで座り、コーヒーを飲みながら、郭は、Iとのやりとりを、真田に話す。 「一馬なら、引き受けるんだろうな」 「うーん…。誰かに必要とされたら、できることなら引き受けたいとは思うだろうけど…」 「断るつもりだったんだけど、一馬なら断らないだろう、って思ったら、なんだか断りきれなくて」 「俺は、断らないというよりは、断れないって感じかな…」 「引き受けたら、一馬と勉強する時間が減るな」 「俺のこと気にしてくれてる? 俺なら大丈夫だよ」 「そう言われると、寂しいね」 「それは、俺だって寂しいけど」 「かなり寂しい」 「…俺の方が、寂しいよ」 「自分の方が、なんて、何で分かるの」 郭はちょっと笑って、真田の手から、空いたカップを取った。真田がお礼を言うより前に、自分のカップと合わせて、ゴミ箱に捨てる。 「ありがとう…」 何で分かるか、なんて。真田は、自分の方がずっと郭を好きだって思ってるから。 郭は、体を横に向けて、しっかりと真田に向き合った。 「一馬、俺に何でもしてくれるって言ったよね。できることは何でもするって」 「うん」 「じゃあ、お願い」 「うん」 郭の指先が真田の指先に触れた。そっと、自然に触れたのに、触れた部分から赤くなって、頭から爪先まで染まってしまう気がした。 「一馬」 いつもは何を考えてるのか読み取れない表情なのに、そのときは、眼が真摯に、何かを物語っていた。何か、が、どのような種類のことなのか、真田には分かる気がした。だから、夜の闇に、郭の眼差しがやたら艶かしく思える。
「次のテストで、五位以内に入って」
郭の言葉は、真田にとって全く予想外のものだった。 「…………えっ!」 「なおかつ、数学では一位になって」 「えーーーーっ!」 指先は、いつの間にか離れていた。
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