愛なき浜辺に新しい波が打ち寄せる
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それから間もなくの、若菜と郭の会話。 「よーよー、まんまとチョコ貰っただろ、一馬から」 「まんまとって。見知らぬ女の子からチョコを貰う義理はないけど、一馬から貰う理由はあるから」 「タダで勉強みてるしな」 「それは別にいいけど」 「ところでどんなチョコだった?」 「何で?」 「俺もついでに貰ったんだが、一馬が、俺のと英士のとで差をつけたのか知りたいわけ」 「ぶしつけだね。普通、気になっても聞かない」 「お前に遠慮とかあるかよ。で、どんなだった?」 「普通のだよ」 「俺だって普通のだよ?」 差はつけてません!
そういえば、教え子の推薦入試は駄目でした。それは想定内なので、一般で頑張るのみです。
ところで、真田はほんとお返しなんていらないんだけど、お菓子でも物でもなく、ほんとに何でもいいなら、希望があります。しかし言いにくいよな、っていう。 『お返し何がいいか、考えてくれた?』 郭にわざわざLINEで聞かれるし。 『ほんと何もいらないので、お気遣いなく…』 『そう言われても、俺はお返ししたいんだよ』 『いや、ほんと、申し訳ないので』 『そう固辞されると、ちょっと傷付くような』 『えっ! ほんとは希望があります』 『じゃあ単刀直入にどうぞ』 チョコ渡すとき回りくどかったからね! 『一緒にどこかに行ってほしいです』 『行くよ。どこでも』 真田はどこか、って言ったけど、行きたい場所はもう決まってる。それは、まあまあ近場の動物園なんです。 入試は、3月の初め。それが終わればいつでもいい、と郭が言うので、3/14に近い日曜で日程は決まり。デートやん。ちなみに、合格発表は3月半ばです。動物園行く日は、発表の何日か前。あ、そういや、学年末テスト終わりました。真田は、英語も国語も納得のいく結果でした。
動物園は、駅から電車で数十分、そこからバスで数十分くらいの場所。規模は小さめだけど、この辺で動物園といえばそこだけなので、土日はまあまあ賑わってる。二人が行った日曜も、それなりに混雑していた。家族連れが目立つが、カップルやグループもいる。全体をのんびり見て回ってから、山羊やら兎やらと触れ合える広場で、餌やりとかする。そこは、幼児や小学生連れの家族が多かった。 「小さい頃、ここに来るのが好きで」 広場の中にあるベンチに腰掛ける。それまで言葉少なだった真田が、穏やかに話し出す。郭は静かに相槌を打ち、先を促した。 「モルモットや亀を撫でたり、山羊や羊に餌をやったり、そういうのが楽しかったんだよな。そしたら、親は、俺がすごい動物好きで動物園好きなんだと思っちゃって、それから、色んな動物園に連れてってもらったよ。全国、北から南まで、色々。でも、どこも、それほど楽しいとは思えなくて、いや、そのときは普通に楽しかったんだろうけど、帰ってからはあんまり思い出せなくて、疲れたなーって感じで。結局、今でも記憶に残ってるのはここだけだし。でも、母親に、『楽しかったね。次は違うとこに行こうね』って笑顔で言われたら、うん、って笑顔で答えるしかない。 ほんとは、ここでよかったんだ。ここがよかった。でも、そう言えなかった。言えばよかった、って思うけど。言わなくてよかった、とも思う。 …って、ごめん。何の話だって感じなんだけど」 「いや、」 郭は真田の心の、柔かい、傷付きやすい部分に接している気がした。きっと誰にも見せない、普段は隠しているような部分に。真田の言うことを、他愛無い感傷的な思い出話だと、贅沢な悩みだと、以前の郭なら取り合わなかったかもしれない。でも今、郭は、自分でも意外なほどに同情していた。同情なんて柄じゃない。でも、しっくりこなくても、同情としか他に言い様がない。まだ小さかった頃の真田の、傷付きやすい心に、同じように小さい頃の自分の心が、寄り添おうとしている、そう感じた。だからこそ、気休めは言えなくて、静かに話を聞くことしかできない。でも、これだけは言っておきたくて。 「また来よう。いつでも、何度でも」 「…ありがとう」 本当に、心からの。真田のありがとうは、いつだって、本当の、心からのだ。ずっと知ってた。でも、改めて、思い知った。 動物園を後にし、バスに乗る。帰りのバスは混み合っていて、二人共立っていた。近くの席で、小学校低学年くらいの子供とまだ若い母親が、持たれ合って眠っている。微笑ましい、でもどこか切ない。もう決して戻ることのない幼少期。戻りたくもないが、戻れないからキラキラして見える。幻の輝き。でも真の輝きも混じってる。真の? もう目には見えない、手に取れない、記憶の中を探して、欠片を見つけ出した気がしても、次の瞬間には色褪せてしまう。 バスを降り、電車に乗り換える。電車はそれほど混んでなくて、余裕で座れた。 もうすぐ入試の合格発表だという話になり。 「合否が分かるまで落ち着かないけど、入試はもう終わったから、結果を待つしかない。今回駄目だったとしても、二次募集があれば再挑戦できる」 郭は、自分が冷静なつもりだが、話しているうちに、やはり落ち着かない、ほんとは不安なんだ、という思いになってくる。それが真田に伝わったのかどうかは分からないが。 「受かるよ、きっと。適当に言ってるんじゃなくて、ほんとに、俺は、そう思うんだ。俺がそんなこと言ったって、気休めにもならないけど、でも、信じてるんだ」 そう言った真田の目が、口調が、あまりに真摯だったので、郭は心を打たれる。 「信じるよ」 教え子を、自分を、今までの勉強の積み重ねを、受かることを、そして、真田の言葉を。
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