これを書いてるのは9月6日の話だが。
友人Tちゃんとお茶に行く。 最初、Tちゃんが行こうと言っていた中国茶館『玉蘭』というお店は臨時休業 で閉まっていてショック。 やむなく、私が前に“熊本カフェ100”(←というようなタイトルの本が最近 出ている)で見て気になっていた中国茶館『Anding』という店へ。 どきどきしながら入ったら、ものすごくかわいい店! 気に入る。 また行く!って感じである。
そこで久々に二人で話していて思ったが。 (いつもは娘のハルカだったり、Tちゃん夫のCが一緒のため、二人だけになる ことは、最近あんまりなかったのだが。) 考えてみたら、Tちゃんと二人でお茶を飲んだりしたのは、TちゃんがCと 結婚するのを決めた23歳くらいの時が最後じゃなかったんだろうか。 ・・・ってめちゃめちゃ昔だよ。
いや、思ったのはそこではなく。 私は今度、来年3月に仕事をやめるにあたって、うちの会社の一体どこが嫌 なのかとか、どういう所に耐えられないと思うとか、そういうことを 言ってたんだけど。 (しかし、その話に延々つきあわされたTちゃん・・・ちょっと悪かった。と 帰宅後、微妙に反省しているが。) 思ったのは。
いかにこの10年、私が会社のことばっっかり、考えていたかということだ。 あまりに向いていない緻密な仕事だと入った瞬間に思い、その気持ちは延々と 10年の間、持続していたため、そのことばっかり考えてないと、逆に 仕事ができなかったのだ。 まったく自分の不器用さ加減にはあきれるばかりだが。 しかも、後ろ向きなことを延々と考える、その不毛さ。 それは、要はお金、と割り切れない私の弱さともいえるし、あきらめの悪さとも 言えるのだが。
話していて、Tちゃんが、 「もう、もりも(←通常の私の呼び名)は今度は、本当に好きだと思う仕事を するしかないよ!」と言ったときに、ハタと符牒が合った。という感じだった。 なんか。 バカだなあ。私! と思った。いろんな意味で。
だけど、それも、無駄ではないと思う。思いたい。 大体、10年なんて長い時間、それほど嫌いな仕事に、平日は一日9時間から 12時間もの時間を費やしておいて、無駄だったなんて、そんな泣ける話は ないとも思うが、それだけではなく。 私は、絶対的に、人には恵まれたのだ。うちの会社で。たぶん。 そのことを考えると、あの人々を裏切るような感じがして、本当にくらっと くるのだが、もう耐えられないから仕方ない。 10年もがんばったんだからいいじゃん!とも思う。 そして、たとえ許してもらえなくても、仕方ない。 今がどんな風な状態か、何が限界かなんて、結局人にはわからないものだと 思う。 それがわかるのは本人だけだと思う。 黙っている、言わない内面で心だけがどんどん虫食いにおかされるみたいに なって、心の中の大丈夫なスペースがどんどん減っていく。そんな錯覚。 そういうの、もうやめたって、バチは当たらないと思う。(・・・んだけどなー。)
それがわかっただけでも、お茶しに行ってよかった。 いや、総じて楽しかったのだが。 やっぱり持つべきものは友。ということ?
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