日記

2003年09月05日(金) 友人とお茶。

これを書いてるのは9月6日の話だが。

友人Tちゃんとお茶に行く。
最初、Tちゃんが行こうと言っていた中国茶館『玉蘭』というお店は臨時休業
で閉まっていてショック。
やむなく、私が前に“熊本カフェ100”(←というようなタイトルの本が最近
出ている)で見て気になっていた中国茶館『Anding』という店へ。
どきどきしながら入ったら、ものすごくかわいい店!
気に入る。
また行く!って感じである。

そこで久々に二人で話していて思ったが。
(いつもは娘のハルカだったり、Tちゃん夫のCが一緒のため、二人だけになる
ことは、最近あんまりなかったのだが。)
考えてみたら、Tちゃんと二人でお茶を飲んだりしたのは、TちゃんがCと
結婚するのを決めた23歳くらいの時が最後じゃなかったんだろうか。
・・・ってめちゃめちゃ昔だよ。

いや、思ったのはそこではなく。
私は今度、来年3月に仕事をやめるにあたって、うちの会社の一体どこが嫌
なのかとか、どういう所に耐えられないと思うとか、そういうことを
言ってたんだけど。
(しかし、その話に延々つきあわされたTちゃん・・・ちょっと悪かった。と
帰宅後、微妙に反省しているが。)
思ったのは。

いかにこの10年、私が会社のことばっっかり、考えていたかということだ。
あまりに向いていない緻密な仕事だと入った瞬間に思い、その気持ちは延々と
10年の間、持続していたため、そのことばっかり考えてないと、逆に
仕事ができなかったのだ。
まったく自分の不器用さ加減にはあきれるばかりだが。
しかも、後ろ向きなことを延々と考える、その不毛さ。
それは、要はお金、と割り切れない私の弱さともいえるし、あきらめの悪さとも
言えるのだが。

話していて、Tちゃんが、
「もう、もりも(←通常の私の呼び名)は今度は、本当に好きだと思う仕事を
するしかないよ!」と言ったときに、ハタと符牒が合った。という感じだった。
なんか。
バカだなあ。私!
と思った。いろんな意味で。

だけど、それも、無駄ではないと思う。思いたい。
大体、10年なんて長い時間、それほど嫌いな仕事に、平日は一日9時間から
12時間もの時間を費やしておいて、無駄だったなんて、そんな泣ける話は
ないとも思うが、それだけではなく。
私は、絶対的に、人には恵まれたのだ。うちの会社で。たぶん。
そのことを考えると、あの人々を裏切るような感じがして、本当にくらっと
くるのだが、もう耐えられないから仕方ない。
10年もがんばったんだからいいじゃん!とも思う。
そして、たとえ許してもらえなくても、仕方ない。
今がどんな風な状態か、何が限界かなんて、結局人にはわからないものだと
思う。
それがわかるのは本人だけだと思う。
黙っている、言わない内面で心だけがどんどん虫食いにおかされるみたいに
なって、心の中の大丈夫なスペースがどんどん減っていく。そんな錯覚。
そういうの、もうやめたって、バチは当たらないと思う。(・・・んだけどなー。)

それがわかっただけでも、お茶しに行ってよかった。
いや、総じて楽しかったのだが。
やっぱり持つべきものは友。ということ?


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