| 2003年03月23日(日) |
駆込み訴え(by太宰治) |
太宰治は天才だったかもしれない。
最初に読んだとき、そういう風に思った。 もう10年も前、私が20歳そこそこだったときだ。
裏切り者のユダの話。 読む前、タイトルだけを見たときは、妻が寺に駆込んで夫の酷さを訴える話かなあ? と、呑気に単純に考えていた。 蓋をあけたら全然ちがう。 語り手は男。
読み進む内に、イエス・キリストにまつわる話だということは判る。 しかし語り手が一体誰なのか、正しいところはラスト一文まで明かされずに、 物語は続いていく。
愛情と憎悪は紙一重だと、最初にそう言ったのは誰だろう。
キリストへの、もうどうしようもない愛情。恋とさえ言えるかもしれない、 狂気すら感じられる程の激しい愛。 それが憎しみに転化する。その悲しさ。
一気に読ませたその後で、最後の最後に訴えているのは誰だか判る。 そして読み手は、やりきれなさと同時に、ユダの悲哀みたいなもの、 そのどうしようもない悲しさを感じて、太宰治の凄さを考えずにはいられない。 そんな気がする。
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