日記

2002年07月06日(土) キッチンと私。

吉本ばなな著『キッチン』である。
私が18歳の頃、もう12年も前に売れに売れた、ばななさんのデビュー作品。
その、新装丁の文庫本が、新潮文庫から出ているのを本屋で発見し、幻冬舎で
出ていた単行本も文庫本も両方持っているというのに、再び買ってしまった私!笑

まず、装丁のスバラシイかわいさ美しさに惹かれて買ったのだ。
だって、馴染みのあるあのチューリップの柄がちょっと大きくなって白黒グレー
地に散っていて、そこに赤とゴールドでばななさんの名前が入ってるなんて! 
なんという可愛さ! これは買わねば!と思って、買ったのだが。

すばらしいあとがきだった。
今回の新装丁版が出ることに伴い、今のばななさんの文章で、あとがきが新しく
書かれてあった。その最初の10行に、小説を書いていく心意気というか信念に
ついて書かれてあり、もう、それを電車待ちしながら読んでるだけで、まさに
心の中が真空になるようなかんじというのは、まさにこういうことだ。って
思った。思わず友人Kに、その素晴らしさについて速攻メールしたほどである。
泣きこそしなかったものの、そのあとがきの言葉の数々に、なんと言うか大袈裟
なんだけど、救われるような気がしたのだ。単純なんだけどそう思ったのだ。
ほんとうに、人生ってそういうモノだ。とか。そんな風に。
そしてあつかましいかもしれないけど、私自身が常々そんな風に思って日々を
過ごしているから、「ああ、そうなの。そうなんです!」って思って、余計に
感動したのかもしれない。

孤独とか。絶望とか。感じやすい心で生きるというのはものすごくつらいことで、
でも、日々それを面白さとかおかしさに変えて生きていくことはできる。そして
そうすることで、人生というものは少しはやり易くなる。
そういうことがばななさんの文体で、うつくしく簡潔に、ひかる言葉の数々で
書かれてあった。
読みながら、胸打たれるってこういうことだ。って思った。

そして買った日の夜に“キッチン”と“満月”を、今日の朝、お風呂に入りなが
ら、光が差し込むお風呂場で、外で風がびゅうびゅう吹いて裏の家の木々が揺れ
てる、そんなのを窓から見ながら、すごいいい気持ちで朝風呂に入り、“ムーン
ライト・シャドウ”を、数年ぶりに読んだ。

本当に久し振りに読んだのだ。昔は何度も何度も、単行本なんて今や表紙がすごく
汚くなっちゃって、買いなおそうかな。って思ってるくらい、それくらい何回も
読んだ本だ。
読みながら、まるで映画“風の谷のナウシカ”みたいに、次に来る言葉の数々、
フレーズの数々がすぐわかるかんじ。ああ、そうそう。こうだった。こういう
ことをこの人が言って、主人公のみかげはこんな風に思うんだ、とか。
ものすごく懐かしいものに久し振りに触れた。ってかんじ!って、泣きこそ
しなかったけど、そのあまりのなつかしさに、無性に切ない気持ちになって
しまった。ってほどだった。胸がかきむしられるってこういうことだ。

そして、この本に書いてある言葉のすべてが、私の文章には確かに、確実に
息づいている。と実感した。ああ無意識にこのフレーズを使ったことがある。
ここも使ったことある。あ、ここも!という風に、どんどん思い出してくる
のだ。自分が書いたことの中に自然に入ってしまっている。
それは真似だろうか。読んだ人が、ああこの文章、吉本ばななのあの本に
あったな。なんて思ったら大変に失礼なことだ。しかしもし自分の文章として
ちゃんと昇華できているのなら、そんなにうれしいこともないなあ。とか。
そんなことも読みながら、思っていた。

そして影響を受けやすい私は、この人生の中で勿論フミヤくんにも享氏にも
スティーヴにも、その他大勢の人々から大きな影響を受けてきたが、キッチンの
登場人物であるみかげ、えり子さんや雄一、ムーンライト・シャドウのうらら
とか柊とか、その人々にも確実に影響を受けているなあ。と。
確実に私の人生の中に、ばななさんの人生観のようなものも、絶対的に反映され
ているんだろう、と。そんなことも思ったのだったよ。

そうやって、限りない色々なモノに接して人はつくられていくんだって思う。
そのすばらしい面白さ。
それがあるから、そういうのもあるから人生というのはいいものだ。って思う。
たとえものすごくイヤなことがあったとしても、それを知ってるから幸せな
ことは、より深く輝くかもしれないのだ。


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