| 2006年01月27日(金) |
東証終値1万6460円、5年5カ月ぶり水準 |
日々の映像を株価の急落した1997年から書き始めているので、同年1月の記述を鮮明に覚えている。改めて1997年1月の日々の映像を開いて見ると、暗闇に突入して行く様子が1月9日〜17日にかけて記述されていた。株価の要点を整理すると次の通りだ。 1996年末の東証終値 19300円 1997年1月11日までの下落 2057円 1997年1月11日の東証終値 17303円 この時期の新聞は「始まった淘汰の時代」「産業界に動揺広がる」「ゼネコン不良債権処理に暗雲」「消え行く日本」などと不安を煽る報道が踊っていた。1997年1月11日の日々の映像は次の31文字で結んでいる。 ・刻々と 時代はデフレの 方向へ 未知の時代に 何が起るか ライブドア・ショックはほぼ解消されたようだ。1月27日の東京株式市場は、「注文が膨らみほぼ全面高となり、日経平均株価(225種)の終値は前日比569円66銭高の1万6460円68銭と、約5年5カ月ぶりの高値を付けた」(産経から) 日経平均は、最近4日間の上げ幅が合計で1100円に達し、ライブドアが強制捜査を受ける直前の16日の終値を上回る水準を回復した。前記の通り日経平均株価17303円を超えると9年ぶりの高値となる。ここまでの株価上昇はそんなに時間がかからないと思う。
・10年も 苦しみ続けた デフレから 大きく脱却 新たな時代に ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 癒しの森900 2006年1月27日
短歌:目視の事実に限るなら
ここで何回も記述するが「なぜ癒しの森を書くか」と問われれば答えは明確で「対話の題材」の提供なのである。この本来の目的が叶いそうな気配となってきた。学校の先生OBグループと2003年8月以降の癒しの森を題材とする懇談会を開く方向の話が進んでいる。もう一件は短歌の会で同じく癒しの森を題材とした懇談会を開くか・・との話である。こんな話が出ていることもあるので1997年3月17日に書いた「短歌:目視の事実に限るなら」引用したい。 「3月17日 短歌:目視の事実に限るなら 3月17日の朝日新聞で沖ななも氏(歌人)の『短歌を読む』が載っていた。『短歌は1人称であるが故に、作品と作者が同一であるという考え方が幅をきかせてきた。そして私たちはあまりに長い間事実・現実・本当にあったことにこだわりすぎてきた。これが風通しの悪い作品を生み出すことになったのではないか。・・・創作というものを排除したことから短歌が面白くなくなったといっても過言ではないだろう。・・・読者に届いた時にどのように受け取られるかということで、事実であったかどうかではない。要は読者を感動させる力があるかどうかという事だ」とあった。
私がここで書き進めている短歌(31文字)は「事実・現実・本当にあったこと」という短歌の基本を無視して書いている。強いて言えば一定の概念をいかに分かりやすく伝えるかに軸足を置いている。短歌が目視の事実・現実・本当にあったことに限るのであれば、感動させる歌は少ないのが当然だろう。私が綴る31文字は、「こうではないか」と言う認識が多いような気がする。次の31文字はその典型である。
・人なるは 人の間で 人となり 人がなければ 人にならずか (1997年2月24日の日々の映像から)
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