MOTOYANの日々題
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2021年08月28日(土) バレーボールと体罰

相次いで高校のバレーボール指導者による体罰事案が報道された。いずれも全国大会に出場するほどの実力校で「またかよ!」という感覚しかなかった。
指導という行為に潜む「体罰」が許されない行為だという認識はあるし、当たり前のことであるが、いまだに後を絶たない。
特にバレーボール競技では日常化されているのかと思えるほどよく起こるような感覚だ。もちろん体罰なしで指導されているチームがほとんどだと思うが、一部に残っている現状を考えてみた。
プロビーチバレー選手だった朝日健太郎さんのコメントがあった。(国会議員になっていたとは驚きだったが)日本のバレーボール史で1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得した「東洋の魔女」が関係しているのではというものだった。大松博文監督によるスパルタ指導がその後のバレーボール界に残り、叩いて鍛えるというスパルタ方式を誤解して選手を叩いて鍛えるという指導?が長く続いていたらしい。
スパルタ教育はギリシャのスパルタ地方で行われた軍事的な兵士養成のための極めて厳格な教育方法で体罰も含まれていた。金メダルを獲得するためにハードな訓練を積み重ねる当時の練習法は想像がつく。ローリング、フライングレシーブなどはそこに起源がある技術だ。それで結果が出たからそんな練習を勝つためにどこでも取り入れた。その後50年以上続けられた。
しかし、最近はデータバレーが進み、練習法も科学的になって監督がタブレット片手にゲームが進む。それでも中学校や高校でいまだにスパルタが残っているのは残念なことだ。
指導者は、自分が指導されたことをそのまま指導する傾向にある。叩かれて育った指導者は叩きやすいということもあるだろうが、それは現代の競技を研究していないことでもある。熱心さを向けるベクトルが間違っている。選手ではなく競技種目へ向けるべきだ。
ただ、バレーボールは競技の特性として指導者と選手が近すぎることも一因だ。頭と同じくらいのボールを至近距離でレシーブさせたりする中で熱心さで選手の頭とボールを見間違えるか同じものと認識してアタックしてしまうのかもしれない。またミーティングでも6人の輪は小さいので口で指示を出すと同時に手でも指示を出せば選手に手が届いてしまう。監督を中心とした円陣は作らない。など工夫が必要だろう。バレーボールの指導者はみんなとても良い人で人格者というイメージがある。一度の過ちで人格を失うことがないように願う。


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