MOTOYANの日々題
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2021年07月07日(水) 親父の一番長い日に

七夕の日にふーちゃんが嫁に行った。コロナの影響で挙式やパーティーは先延ばしにしてとりあえず入籍を行ったとSNSで全世界に告知をしたので遠くはハンガリー、近くは100m以内の近所から電話やSNSでのお祝いのメッセージが届いた。気にかけてもらっていたことに深く感謝したい。
26年前に決して立派とは言えない両親と8歳離れた兄の中に戸籍の一員として家族になり、ほとんど3人の親に育てられ、学校時代の多くの友人・知人に守られながら、人生のパートナーを得ることになって誠にめでたい日を迎えた。
本家の戸籍から出て新しい戸籍ができるのが、結婚を実感する中のひとつだ。堅実でも破天荒でもいいので明るく楽しい家庭を築いてほしい。
子供が生まれると名前をつけなければならない。名前の由来が親の願いということもあるが、時間的な猶予はそこまでないのでインスピレーションで決まることもある。これまでしっかり話したことはなかったので命名の由来を記しておこう。
出産予定日が2月28日か3月1日ということだった。女児ということは聞かされていたので名づけの準備はしていた。この両日は高校の卒業式準備に追われて病院にも行けなかった。1日の朝にそろそろだという知らせがあって卒業式が終わった時にはもう出産が終わっていた。だから出産には立ち会えなかった。2月と3月の間に生まれたので二と三が浮かんできた。次にこの2文字から過去の教え子の「二三香」さんが浮かんできた。高知県の清流四万十川流域の旧中村市辺り出身の中平二三香さんと記憶している。小柄で美しく、おとなしくてとても優しいお嬢さんだった。
女の子が生まれたということで鹿屋中時代の教え子たちがお祝いに駆けつけてくれた。その中に野田史子さんもいた。そのころには「ふみか」に決めていた。どんな漢字をあてるか悩んでいた。チェッカーズの藤井郁弥さんの郁を却下して野田さんに了承を得て「史」に決定。残るは「か」、いろいろ候補が出たが、バランスと語意で「佳」に決定した。男の子のような名前と言われたこともあったが呼びやすい名前と自負していた。ありがたいことに多くの人に見守られて思惑通りに?育って自立した。
さて、その「史佳」さんは縁あって、明るく堅実で努力家で謙虚な素晴らしい好青年と結ばれた。新しい戸籍の本籍は「高知県」となった。もしかして名前の由来が「赤い糸」でつながっていたのではなかろうか。
ともかく、めでたし、目出度し。


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