MOTOYANの日々題
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毎日新聞のコラム「余録」を担当していた諏訪正人さんが、23年間の役目を終えて、筆を置いた。25日付の「記者の目」に回想録が載っていた。 http://www.mainichi.co.jp/eye/kishanome/200206/25.html
その中で23年間も続けられた理由にひとつに『「一日暮らし」の連続だったこと。余録を書きながら、頭にあるのはきょう一日のことだった。あすは薄明のかなたに霞(かす)んでいる。きのうはすでにぼやけている。朝からきょうは何を、どう書こうかとそればかり考えていた。書き終えるとすでに夜。あすのことを思う余地はない。完全な一日本位制。』と書いてあった。
水上勉の「一日暮らし」を読んで以来、「その日暮らし」を「一日暮らし」にあらためて明日、あさってのことは考えないで、たった一日でいいからコラムらしいコラムを書きたいとがんばってきたという。しかし、23年を振り返っても会心のコラムは書けなかったと謙遜している。
授業にしろ、この日記にしても1回でいいからそれらしいものにしたいと思いながら、過ごしているだろうか?その日暮らしになっていないだろうか?と考えさせられた。一時期は、朝から一日中、今日の日記は何を書こうかと思っていたこともあったが、最近は、帰りの車の中で考えるだけのような気がする。
2002年も半分終わった。コップの中の水が半分しか入っていない状態を「もう半分になってしまった」か「まだ半分も残っている」と思うかは、その人によって違うだろうが、私の場合は前者だろう。
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