MOTOYANの日々題
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2001年10月12日(金) 努力目標「方言をつかわない」

 また、昭和40年以前の話題。当時、中学を卒業して高校に進学するのは約5割で半分は就職していた。集団就職列車で京阪神や名古屋、東京へと「金の卵」として旅立っていった。父が中学の教員で就職の世話係をしていたこともあり、西鹿児島駅まで見送りに行ったことを記憶している。

 鹿児島から都会へ出ると、まず言葉の壁にぶつかる。鹿児島の方言しか知らない中学卒業者が関西弁や名古屋弁、東京弁についていけず、ついつい寡黙になり仕事もうまくできない状況があった。そこで鹿児島県教育委員会は、鹿児島の子ども達に標準語を話せるようにする政策を打ち出した。

 まず、学校で鹿児島弁を使わせない。つまり、方言は「悪い言葉」として位置付けられ、週の努力目標に「標準語を話そう」「方言を使わない」というものまででてきて、使うものなら、日直や生活部が名簿にチェックをして帰りの会でザンゲさせられていた。週に1回「言葉づかいの時間」という授業が組まれ、NHKのラジオから流れる、標準語のイントネーションやアクセントを繰り返し訓練させられた。まるで外国の言葉を習うように。それによって「箸」と「橋」、「雨」と「飴」、「花」と「鼻」のアクセントが逆であることを知った。

 しかし、今では学校でも地域でも家庭でもしっかりと標準語を話している鹿児島人が多い。テレビの影響で幼い頃から自然と標準語が耳から入ってきてそれが自分の言葉のように使っている。だから、鹿児島弁が通じないことも多い。私達、40年代に「言葉の時間」を経験しているものが最後の鹿児島弁という文化の伝達者になるような気がする。本家は、四国出身の妻も子ども達も鹿児島弁で話している貴重な家族かもしれない。

 http://www.minc.ne.jp/~mictky/yougo/yougo01.htm 俗説鹿児島弁辞典

 

 


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