MOTOYANの日々題
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2001年10月02日(火) トイレ考

 心配していた発芽もなく、今のところからだの変調はない。トイレの形状の変遷は、テーマ学習の研究課題になるほどの興味あるところだ。

 生まれて数年は、汲み取り式便所で不潔という言葉が似合う場所だった。また、怖い場所でもあった。幼稚園の頃、長崎に旅行に行って佐世保でコーラの味と水洗便所(正確に言うと、水洗式便所)を体験した。はじめての水洗トイレは、強烈に覚えている。使い方さえも教えられていないわけだから、人生で5本の指に入る緊迫感に襲われた。おそらく、今の子供達が田舎に行って汲み取り便所を目のあたりにする以上のことだろう。

 その後、水洗式・水洗便所が当たり前になり、ウォシュレットが当たり前になってきている。最近、見たものには自動でふたが開いて用が終われば自動で水が流れ、自動でふたが閉まるもの。便座の角度がボタンで調整できるもの。つまり、お年寄りやからだの不自由な方でも便利に利用できるようになっている。バリアフリーの最先端をいくのがトイレだと思う。

 「思考(しっこぅ)と空想(くっそぅ)の場」であったのが今では、読書も食事もできるのではないかと思われるほど快適な場になっている。ホテルの部屋でトイレとバスが同じ部屋にあることを当たり前と思うようになったのも最近の話である。


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