MOTOYANの日々題
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2001年07月28日(土) 先生の「こだわり」

 夏休みも1週間が過ぎた。この調子でいくとすぐ2学期が始まりそうな気配だ。
「先生」という職業について25年、夏休みも25回目で年々、短くなっているような気がする。40日あるのだが、部活動を指導していると完全に休みは1週間程度だろうか?
 
 思い出といえば、初めての海外旅行でインドネシアに行ったこと、鹿児島から北海道の利尻島・礼文島まで車で往復したことなど主に旅行のことである。幸いなことに妻の実家が愛媛県だから里帰りついでに小旅行が毎年やれることも楽しみの一つだ。

 そんな夏休みを過ごせる職業の「先生」は周囲から見れば、うらやましいことだろう。自分が先生でなければ、たぶんそう思うに違いない。この25年を振り返ってみると「こだわり」が二つあることに気づく。

 一つ目は、自分のことを「先生」と言ったことがない。よく「はい、先生の方を見なさい」とか使われているが、「はい、私の方を見なさい」と言っている。先生として自信がない表れかもしれない。デンバーの総領事が公私混同で問題になっているが、「閣下症候群」と呼ばれているらしい。周囲に「閣下」とか「閣下殿」などと呼ばせて「しきる」ことにより、自分がいつの間にか「閣下」になっているような錯覚に陥ってしまう、ことらしい。

 次に自分で板書したものは、必ず自分で消す。これは、字が汚くて恥ずかしいからなるべく早く消したい、という心理が働いている。普通は、板書事項を生徒が書き写す時間を与えるために休み時間までそのままにしておき、当番が消すケースが多い。私は、それを許さない。以前は、黒板を消していると生徒が手伝ってくれていたが、最近では自分だけで消すことが多い。ある意味では、先生や大人のサービスに子供が慣れっこになってしまったのではないだろうか。

 師弟同業という言葉が流行し、先生と生徒が助け合って一つのことを成し遂げると言う意味らしいが、私はこの言葉は好きではない。「先生は、先生」「大人は、大人」「子供は、子供」だからそれなりの立場で物事を行うのが理にかなっていると思う。このことが、最も大きい「こだわり」かも。時代遅れかな?

 「先生が、大人が、やってくれて当たり前」と思う子供にならないように夏休みは家の手伝いをしっかりやらせましょう。


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