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漫画関連ファイル


2004年05月02日(日)
第三夜「ポーの一族」

さてーものすごく期待してみると少し肩透かしをくらった気分になるんですけれど、正攻法で作った番組でした。基本情報が行き届いていて、まちがいはないけれど、お手ごろなキーワードに収束させてしまったのはどうかなあ。今回は驚きとかそういうものはなかったな。

今回、キーボードでメモを取りながら見ていたので、細かい内容を書こうと思えば書けるんだけれど、うーん・・・書くほどでもないかなあ。番組としてはよくできてると思うのよ。でもね、物足りない。物足りなかった。

番組の最初に「小さい頃は変わった子だった」というナレーションが入った途端に、悪い予感はしていたんだ。社会から疎外される存在とか、対人関係がうまくいかない、とかその方向に行きそうで。そうしたら、ほんとにそれでまとめちゃったのね。それは萩尾さんの個人的な生い立ちとか性格もあるだろうけれど、当時のマンガはみんなそういう不安についての作品を描いていたように思います。「女の子であること」「マンガを描いていること」「高度成長期の時代に生活の役に立たないものに、思いをはせていること」そういうことで、自分達が社会から外れていると感じて、それでもここにいるんだと主張する作品は枚挙にいとまがないと思う。そして、そういう時代背景と、個人的な背景があって作品が成立したとしても、なおかつこの作品がそういうものから離れて価値を持っているのは何故か・・・と、そこまでつっこんで欲しかったかも。そこまで考えて、じゃあ、自分で説明できるか?と自問自答して、簡単には答えられないかなあと思いましたけれど。
「エドガーは萩尾さんだ」という言葉も、あんまりピンとこなくて。エーリクでもオスカーでもユリスモールでもなくてエドガーなのかな。ほんとうに?私は阿修羅王の方が近いと思っていたんですけれど。光瀬さんのキャラで都合が悪ければ、レッド星とかね。エドガーよりももっと能動的な感じがするけれど。うーん、このへんは登場人物はみんな作者の分身という獏さんの言葉が正しいかな。

萩尾さんの作品がデビュー当初からいかに完成された絵と話を備えていたか。その上で、ポーの一族があって、追い討ちをかけるようにトーマの心臓があって・・・そのへんを上手にすくいとることは難しいかなあ。マニアのないものねだりかしら。作者の言葉がたくさん聞けたのはよかったわ。萩尾さんは年をとるにつれて、どんどん語りが上手になってきたような気がする。若い頃は内側に向かって話しているような感じだったのが、今は外に向けて話をされている。どんどん明晰になっていく感じ。このおだやかな人の中から『残酷な神が支配する』や『バルバラ異界』が生まれてくる不思議さを感じつつ、見ていました。

キリアンの行方や、ポーの続編については、私はさほど思いいれはないの。絵も、お話も本当の続きになるわけないし。当時の作品だけで十分だと思う。でも、現在の萩尾さんの作るコスチュームプレイは読みたい。彼女の今描く「物語」はどんなに面白いだろうと思う。ほんとに描いてほしいなあ。ポーの続編じゃなくて、パラレルでいいから。あの言葉はちょっと楽しみだわ。