先日ブックオフを回っていたら、『バナナブレッドのプディング』のセブンティーンコミックス版が、 100円で売っていたので、実家に持っているけれど買ってしまいました。 ものすごく状態の良い初版本でヤスリをかけなけばもっと良かったのにという美本。 こんなに長い年月保存してあったのに、どうしてこんなところに出てきたのかしら。 きっと、持ち主の人生に大きな変革が起きたのね。(涙) 皮肉なことに、そういう蔵書が放出された時がコレクターには買いどきなのだけれども。 (同じ店でとても美しい青池本と名香本と坂田本を買った。おそらく同じ人のものだろう)
この作品を読んだのは高校生の時。月刊セブンティーンに連載されていたのを 毎月楽しみにしていました。時期的には綺羅星のごとく傑作が並ぶ1970年代の大島作品の、 『綿の国星』発表直前の連載。 作品リストをながめていると、この作品はそれ以前とそれ以後の作品に一線を画しているような気がする。 『綿の国星』シリーズで安定した世界に入る前の、境界線上を目隠しして歩いているような どっちに転ぶかわからないようなギリギリの世界。 衣良の不安は少女の不安。夢の中の邪悪な鬼は自分自身。 当時、言葉で語れるほどこの作品は理解できていなかったけれど 作品の持つ力に圧倒されて、迷路のようなお話の中で何度も遊び、楽しんだ。
私は、当時からすでにおばさん化していたので、衣良でもさえ子でもなかったし、 教授や奥上でもなく、峠や沙良のようにやさしくもなかったので、 自分のことのように読んでいたわけではないけれども、、、、
今読むと、構造の確かさ、登場人物の見事さ、絵とセリフの絶妙さにうなってしまう。 そして、大島さんは早い。あまりにも時代の先端を行っていたんではないか? 20年以上たった今でもちっとも色あせていないのはすごい、、、
最後のページ、沙良の子供はチビ猫だったんだろうか? チビ猫が生まれ育って、時間的にはもうすっかり大人になった頃かも。 ヘンな話だけれども、先日読んだ『グーグーだって猫である』の グーグーはまるでチビ猫の子供。大島さんにとっては孫のような存在かもしれない。 だって、何でも許せてしまうのは、うちのおばあちゃんのような反応だもの。 人生の時間の変化を自然に受け入れて、淡々と過ごされていく姿もまた、 素晴らしいと思うのでした。
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