私季彩々
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2004年04月10日(土) 膝上の棺桶

 一人の子供が亡くなった。7月生まれだからまだ1歳に満たない。それでも僧侶は1歳と言っていた。数えで呼ぶものなのかもしれない。苗字は2度間違って読み上げた。

 急な破水に襲われ、900gの切迫早産。肺の未成熟は覆い隠せず、挿管は最期まで取れなかった。ステロイドでパンパンに膨れ上がった体は、いつまでたっても増えない体重を恨めしく思わせるに十分だった。それでも毎日、若い夫婦は30kmの道のりを通い詰めた。強気の強面を崩さず、夫の退職と妻の再就職を乗り越え、一時の安泰を迎えて間もない訃報だった。
 これまでも度々呼び出されていた。常に危篤状態だったが、その中でも危ないということだった。それにもだんだん馴れてしまったのは周囲の我々で、本人達はその一回一回が重かったはずだ。

 葬儀はとてもひっそりとしていた。斎場は立派だが、これ以上小さな部屋があるのかという場所だった。
 私よりも5歳も年下の喪主は、疲れきったように「誉めてやってください」と述べた。遺影はバレンタインのハートマークが首から掛けられたものだった。病院関係者から送られた花が痛々しかった。二人の苦労を最も共有した人々だったろう。いつも強気の奥さんも涙を浮かべていた。
 小さすぎる棺桶。少ない参列者が花を手向けると、すぐに一杯になった。顔は妙に瑞々しく、瞼がはれぼったい。赤子の遺体は生きている状態を保持しているようだ。いつまでも触れている夫婦。蓋を閉められず、自らの顔を寄せて低い嗚咽を鳴らす。二人以外誰もいないかのように、皆が一歩静かに下がった。

 人にはいろんな一面がある。そして、誰も全てを知ることは出来ない。そんな瞬間をこれまでにも多く繰り返し、人との距離を埋めたり離したりしてきた。
 荘厳な場に立ち会って、私はまた多くの人の一面を見た。そして、皆を少し好きになれた。

 お坊さんは、命の尊さを短すぎる生と死で伝えた彼女を称えた。生というのはそういうものなのだろう。彼女よりも数十倍私は生きている。いや、高々数十倍にしか過ぎない。彼女と同じ「気付き」を、数十回分くらい提供できているのだろうか。

 空は澄み渡り、春の気配は一段と濃い。これからの街に黒い車がゆっくりと走り出す。クラクションの音が響き、合掌。ゆっくりと上げた私の目に、かつての同僚が車内でゆっくりと頭を下げた。膝には棺桶が乗っていたはずだ。それくらい、彼女は早く逝ってしまった。


黒服の二人の膝に納まりぬ幼き柩載せ車窓過ぐ Home&Photo


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