私季彩々
DiaryINDEX|past|will
いろんなことを辞めてきたが、人から辞める相談を持ちかけられたことはそんなにない。そういう時に、曲がりなりにも、続けろと言わなければならない立場というのは辛いものである。
翻ってみれば、事には始まりと終わりがあるもので、生き死にだってそういうものである。学校のように期限が切れれば居たくても出て行かなければならない時もあれば、放って置けばいつまでも続いてしまう時もある。が、どちらの場合でも、辞めるのは自分の意思で出来る。
彼女は学校を辞めたいといっている。随分話もしたが、結局は合わないということだと思う。次は特に決めていないようだ。 辞める時にポジティブな理由があるなら何も言うことはない。ただ、人生そういう場合だけとは限らないし、若い頃は挫折も多い。ただ、うまいこと出来ていて、学校には期限がある。2年という短い期間、合わないという理由だけで、学ぶこと皆人生の無駄と捉えるのはよろしくない。
私が大学の教養に居た頃、授業のほとんどはつまらなかった。特に元々語学の苦手な私は、ドイツ語という難題に向かう時は、温かな窓の外を眺めてしまう様だった。そんな私達に助教授が投げかけた言葉は、「何が無駄か判断する力を持っている人は少ない。まして君達のような若い人にあるわけがない」、というような言葉だった。もちろんもっと柔らかくだったが。 その後、役に立ったことといえば、全てである。放り投げたことも次へ繋がった。連続した時間軸で生きる以上、心機一転といっても過去と必ず繋がりがある。学校や仕事で行ったことは、やはり社会で必要とされることだから、人や社会と繋がって生きるときには必ず身を支える力となるものだ。これは本当に痛感している。
二十歳前の彼女にはその余裕がない。それも当然だ。面白くないと思いつつ、だらだらと続けていくのが普通なのだ。そうして、後になってその意義に気付く。辞めるというのはどうこう言っても度胸がいる。「辞めても良いよ」という言葉を胸に収めて、私は思うところを伝えたが、私に似て自己分析さされることに嫌悪感を抱く彼女はさらに意固地になった。 逃げてもいい。後ろ向きでも仕方がない。ただ、それを周囲の人々が見かけだけでも納得してくれるような言葉を作り出して欲しい。それが大事な優しさではないだろうか。そんなことを伝えて彼女を送り出した。
その後、二転三転あって、彼女は学校を続けることになった。私の力というより、親やバイト先の関係のようだ。それが良いのかどうか、私もご両親も悩んでいるところであるが、2年という時間の捉え方を考えると、親を乗り越えられなかった彼女にそれだけの決意も勢いもなかったということだろう。 それでいいと思う。辞めるのなんて何時だって出来る。学校だけに全てを頼れば、辞めればいいほうに進むと考えてしまうがそうではない。結局は全て、一人の自分次第なのだから。
Home&Photo
|