私季彩々
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| 2003年03月21日(金) |
「そうですね」では済まない武力行使是非論 |
パンツのゴムが伸びたのか、またまた痩せたのか、多分両方なのだろう。ゆるい。普段はベルトをするので気にならないが、帰ってパジャマ状態でいるとうざったくて仕方がない。ズボンもゆるくてさらにうざい。でも、そのまま過ごしてきたのだが、服を引っ掻き回して昔のズボンを履くとぴったりだ。単にゴムがゆるくなっただけなのだろう、というよりもう寿命。服買わなくちゃなぁ。下着も買わないと。そういう気を使ってこなかったが、これからはそうもいっていられない。
そんな風に腰元を気にしながら、ラジオのようにNHKをつけっぱなしにしていた。ほぼ一日聞き流していると、同じ映像を使いまわし、新しい情報もないのに時間を水増しし、推測に過ぎない評論家の意見を何とか引っ張り出して時間を埋めている。少しでも新しい話題があれば、それを流して時間をつなぎ、偏った情報から考察もなしにさらに時間を引き延ばす。伝えるほうもあまりの時間の長さに大変だろうと同情してしまう。
今回の武力行使は様々な国にとって、国とは何かを問うだろう。国という独立性がいかに危ういものか。一番率直に話したのは韓国の大統領だろう。「国益を考えてアメリカを支持する」。昨今強調される国益だが、その素直な現れがこれである。一般市民の反戦を唱える人々の素直な王道的な発現と相容れるはずもないが、その一人が国家指導者としての責任を負えば同じ発言をすることになるだろう。 大量破壊兵器の保有国はアメリカを代表する常任理事国である。彼らは何故責められないかといえば、戦勝国であり、強国であり、ある価値観では「話せる」国だからだ。結局イラクが何故こうなったかといえば、一度負けたからであり、話のできる相手ではないというレッテルがついたからだ。査察を継続するしないは武力行使を延長するかしないかだけの話で、あのように国を独立国と扱わない状態をいつまでも放置しておくということは、その国民に対する侮辱である。イラクはどうすれば制裁から解放され、軍備を含めて国としての内政を行うことができるのかを国連は明示したのだろうか。
日本はアメリカから離れられないのであれば、敢えて国際協調と独立国の関係論を提示して欲しかった。様々な価値観があるなかで、崩壊しかけているとはいえ未だ「国」としての単位でしか集まれないという条件があるにせよ、どのような条件であればその多様性を尊重するべきなのか。国を指導するものとして、国民の支持と同時に国際社会に対して守るべき事柄を国民に説得する義務を負うべきこと、その義務とは何かを示せる立場に日本はあると思う。
アメリカが勝ち、中東に自由と民主主義を輸出するとして、本当にそうなれば設立するのはイスラム原理主義だろう。民主的に選挙をすればそうなるだろうし、クルドも含めて内戦が始まるだろう。もう世界に独立国を作る隙間はない。そもそも国という排他的単位は、もう血なまぐさすぎて馴染まない。アメリカが関心を失えばそうなることは目に見えている。この地域に国境線を引くことが正しかったのか。もう戻ることは出来ないのなら、アメリカに全て判断させるよりも、それを超えるスタンダードを示すべきだ。武力を否定するにはそれしかないではないか。今回はひたすらアメリカが批判されているが、査察継続の先を示さなかったフランス他の国がアメリカに敵うわけもない。武力行使を行った以上、反故にされた議論の中でその後でも残るべき力を持った言葉がどこにあっただろう。
フセインが生きているかわからないが、フセインを殺せという本音は明らかに傲慢であるが、それを断ずる力を誰も持ち合わせない。その機会は、唯一武力行使前にあったはずなのだ。例えこの事態が起こったとしても、残るべき言葉が会ったはずだったと残念でならない。もちろん歴史が続く以上、これからでも遅くはないのだが。
などと、パンツのゴムが締まって思うことを。だれも答えを持ち合わせてなどいない。けれど、とりあえず「そうですね・・・・」と答えてしまっているコメンテーターやゲストのように、条件反射で答えを取ってつけることもない。思うのだが、「そうですね」という受け言葉に違和感を感じるのは私だけなのだろうか。
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