私季彩々
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2003年02月17日(月) シューパロ川のほとり

 「シューパロ川のほとり」を読む。ふと見つけたホームページ「ふるさと大夕張」で復刊運動をやっているので、図書館で借りてみた。開架に無い本を頼むというのは、なんか物知りみたいで誇らしげ。

 大夕張は戦後一時は2万人を超える人口を抱えた大産炭地だが、かなり遅い時期まで道路が無く、人や物の移動は石炭運搬用の汽車のみだった。そんな陸の孤島に多くの人がやってきたのは、石炭需要の増大と高収入だったが、そこに集まる雑多な人が良い面の多様性を発揮した様だ。一方で朝鮮からの強制連行や囚人労働など負の面も、巧妙に隠されながらももちろん存在した。街から逃げ出そうと思えば、汽車が走らない時の線路を歩くしかなかった。その線路沿いには監視の目が布かれていたとなれば窮屈そうだが、自ら流れてきた人にとっては不便はあっても心に残る暮らしがあったようだ。
 大夕張炭鉱のガス突出事故は、私が中学の頃だっただろうか。数十人を超える人が戻らず、抗道内の出火を押えるべく注水を行った。家族達の同意を求めるその様が、絶望を知りつつ自ら確定の判を捺さざるをえない踏絵のような地獄絵で、それをテレビ越しに見た。あの事故以外にも事故は多くあり、数百人が命を落としているという。経済情勢からも閉山が相次ぎ、余りある埋蔵量を残して山の火は消えた。一度使われなくなった坑道は、地下水がしみだして使えなくなる。今この街に人はほとんど無く、廃墟となる建物も除かれ、ダムに沈む予定となっているが、そのダムの完成はいつのことかわからない。産炭地振興助成の使い道が街の消滅である。

 私自身はごく普通の住宅街に生まれ、公務員一家だったから、どうこう言っても平穏と安定の中で育った。転居・転職・失業といった家族の変化はほとんど無かった。その分周囲への関心は鈍感だったらしく、そのような背景を持った暮らしや街が存在することに心を馳せることもなかった。どうこうなるものではないが、草むらに埋もれた小さな束石が学校の跡だったり、小高い土盛が汽車のホームだったりすることに気がつく目を持てば、山の珍しい花を愛でるのと同じ感動を人とは違う新しくて古い場所で見出せるだろう。

 そこに住んだことがある人ならば、この本はとても懐かしい内容だろう。本を読むきっかけというのが私にはなく、本屋にいっても膨大な本の前で右往左往するばかりなのだが、見知った土地を舞台にかかれたものを読んでいこうと思う。そう思ってすでに数年が立っているのだが。 Home&Photo


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