私季彩々
DiaryINDEXpastwill


2003年01月08日(水) 父の入院

 病室に父の名があった。看護婦さんに何かしてもらっているらしく、カーテン越しにふくらはぎより下だけが見える。看護婦さんが出ていってからのほうが良いだろうと待ってみる。あんなに足が小さかっただろうかと心細くなる。そうしてると姉がやってきた。結局そのまま入ることになった。
 すでに母も来ていた。粗末なベットに横たわっている父は小さく見えたが元気そうだ。半身を起こして少し話す。脳梗塞ということを知って見ると、左半分の顔面が少し下がって見えた。話すとやはり左半分の唇の動きが悪く、長くなるとどもる感じになる。左半身が軽く痺れるようだ。母が手を握ってみると握力は十分あるようだったが。脳梗塞としては幸運な軽さといえるが、CTでも血栓が確認できるらしく、拡大しなければ御の字ということらしい。リハビリでよくなればいいのだが。

 病院は市内では大きなものの一つだが、いかにも古く狭く、そして混んでいた。たとえ老人であっても男女を一緒にすることはないらしいのだが、6人のうち2人が女性。症状もまちまちで、1人は人工呼吸器をつけて完全な寝たきり。たんが絡む音がひっきりなしに聴こえ、看護婦さんが10分おきくらいに処置をしている。もう一方、自分ではほとんど動けない女性がいて、車椅子で病室に戻ってきた。身内の方と思われる女性が明るい声で話し掛け、飲み物を勧めたりするが、その女性は泣き始めてしまったらしい。後姿しかわからないが、患者さんも介護する側も必死になって戦っているように思えた。他の3方はかなり高齢らしく、腎臓もわずらっているらしい。脳神経の疾患は腎臓に影響が出やすいのか、みんな水の入った容器をベット脇に置いてあって、飲水量を制限されていた。普通に話が出来そうな人は1人だけだった。
 症状の重軽はあっても同じ病気だ。となりに人工呼吸器というのは心穏やかなものではないだろう。自分の幸運を幸いと思ったり、紙一重の恐怖に慄いたり、いつか同じ境遇に陥るのかと恐れてみたり、酷とは思うが安らぐ環境ではないだろうと思う。病気とは残酷なものだし、それに接するあらゆる人にとって試されるものである。入ってきた車椅子の女性を見たとき私はどんな顔をしたか。

 父は一見は健康そのもので、入院生活を送るにはあまりに退屈そうに思えた。結果がきちんと出るまではテレビや読書も控えるらしい。最も父には室内でする趣味など一つもなく、本もほとんど読まないから何をして長い一日を過ごすのだろう。トイレへ歩き出した父は杖が欲しいと看護婦さんに言ったが、大丈夫ですよとの返事。はじめの数歩はかなり頼りなげではあったが、足取りはまぁ問題なさそうだった。左なら車は運転できるなと話している。大好きな釣りに支障はないだろうか。定年した年に運動障害を抱えたとあっては42年間働いた意味がないという。

 2時間弱ののちに病院を後にした。雪の少なめな街だが光景は白く、製紙工場の白煙が空をも白くたなびかせていた。姉とは母は実家へ、私は札幌へと反対方向へと帰っていく。
 寝不足の私は、ミントのガムを噛みながら細切れの考えを巡らせる。続かない想いは、葉を落とした木々やその向こうに広がるウトナイ湖、シニアマークをつけた軽自動車を運転する老人、ジグザグと追い越しを重ねては信号で再び並んでしまう白い車。長続きしない。
 北広島を越えると札幌圏内。車線は雪のため一車線減って流れは滞りがち。国道を外れてもそれは全く代わらなかった。距離にして25%に半分の時間を使ってしまう。病因は北海道の中堅都市にあるとはいえ、札幌は道内では比類なき大都市であるが、ほんの一部でしかない。

 車を置かせてもらっている友人と銭湯へ出かける。同じ親不孝をしている彼は、正月実家に帰ると他の二人の兄は帰ってこず3人だけだったとのこと。帰ったことが何よりの孝行だと言いつつ、普段は言う資格もない親の大事さを湯からあがりつつ語ってみたりした。帰りに立ち寄った食事屋で道路事情の話をしつつ地方の緊急医療の話になってみたり。無駄の代名詞にあがる北海道の高速道路だが、緊急医療の必要性から論ずる向きもある。道東や道北だと半径100キロに数万人規模の街がない地域も珍しくなく、当然病院事情もお寒い。高速道路が最善策とは思わないし、むしろ札幌に偏りすぎた医師の配置を何とかしなければと思うが。
 私の田舎町は北海道ではそこそこの人口がいるほうではあるのだが、医師が複数いるような病院は町立病院しかなく、そこでも常駐の医師はもう70になる人1人だけで、他は大学からの出向である。父はこの病院を素通りして車で30分の市の病院に姉に運ばれていった。症状のあらわれたのは朝で病院に向かったのは夜だ。半身麻痺の徴候から脳梗塞であることは少し知識があればわかったであろうから、私がいたら救急車に乗せていただろう。でも父は拒んだだろう。症状は軽かったし、田舎で救急車などという話になるといろいろと面倒だ。公務員だった父は平日に休む時に庭に出ることも控えていた。

 今こうしている瞬間にも、父は何を考えているだろう。隣の人工呼吸の音に幾度か目を覚ましてるのではないだろうか。疲れのない不自由な身体に思考は冴えるだろう。きっと、自らのことよりも家族のことを思っているだろう。
 切に願うのは、父の健康と、父に伝えられる私の安心できる要素何かである。その何かが欲しいと思う。どんなものでも良いから。 Home&Photo


とんと |MAILHomePageBBS

My追加