私季彩々
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2002年09月06日(金) 無洗米から川を思う

 貧乏人の私が唯一贅沢しているのが「無洗米」である。これ楽チン。研がないでいいって素晴らしい。
 研ぐとなれば、どこまで研げばいいのかわからないので、結構だらだらと続けてしまっていた。かといって、山などでは研がずにそのまま炊き上げて、何の文句も無くおいしく食べているのだから、味覚に大して差は無いわけだ。「研がなくてもいいよ」と言われれば、安心して研がずに炊ける。私にとっては、たぶんに心理的なものである。ついでに水も節約できるわけだし。

 どこかの川で、洗剤をボトル数百本排水溝に流して、川や河口の魚を全滅させた馬鹿がいたようだ。洗剤って強力な薬剤ということはなかなかわからないのかな。水と油を仲立ちするものなのだから、液相が全く変わってしまうこと。下手な殺虫剤よりもよっぽど強力。小さいころ虫を殺して遊ばなかったのでしょうか。

 下水の流れというのは誰もが勉強しているはずなのだが、実際の工程はかなり単純だ。濾過して、酸化して、菌に食べさせて、塩素殺菌。途中にアルミン酸ナトリウムを入れて急速コロイド沈殿をさせたり、オゾン殺菌を行って残留塩素を消したり、活性炭処理を行って公園の水場に流したりもする。費用さえかければかなり綺麗な水を排出できる。

 しかし、公害時代の洗剤は有機リン系なども多く、見事に川を汚染した。酸化処理や好気性細菌処理を素通りするものは素通しなのは変わらない。そう考えると、この30年ほどで、日常的に使われる化学合成品というのは随分気を使うようになったのだなと思う。けれど、直接川に流せば元も子もない。

 下水の大原則の一つは無限希釈。薄めてしまえば問題なし、というものだ。予算不足の見切り発車ゆえ、生活廃水と雨水溝は結局同じ配管を流れていることが多いので、雨が降ると処理が間に合わない。そうすると十分処理できずに流れていくことになる。まぁ、大腸菌くらいなら問題ないけれど、雨の都市河川はある意味汚い。

 もう一つの問題は、この方法は維持費がかかること。大都市向けの高規格であって、集約してこそ価値がある。しかし、地方の民家が散在する街でもこれが出来たりする。費用対効果が全く合わない。臭気や見栄とかいう地方のエゴがあるのも確かで、高速道路よろしく、やはり生活インフラといえども、50%程度の地元負担がなければ、経済理性は働かないのではないだろうか。

 全然関係ないけれど、地方の短大は存亡の危機にある。その補助金を捻出するために、職員給与のベースアップを凍結した自治体があるそうだ。涙ぐましい努力だし、よく組合が納得したと思うけれど、そのくらいの痛みが必要なのではないだろうか。

 経済の停滞期に入って、人口の減退も避けられない。金を使わない国民の代わりに国が使って支えた経済成長は、そもそも矛盾があった。この新しい問題に手をつけていれば、日本は潜在的に世界をリードできたのだろうけれど。

 水の流れは政治の根幹だった。手におえない自然を必死に手なづけて、田畑を広げていった。いつしかねじ伏せる力を持って、数百年の苦労と恵みをあっさり忘れた。ようやくそれに気付いたわけなのに、南アフリカの国際会議は果たしてなんだったのでしょう。

 と、結論は、ただ、無洗米は素晴らしい。それだけ。私ってくどすぎ。でも、水とはそういうものなのだ。 Home&Photo


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