私季彩々
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「鉄道員(ぽっぽや)」は南富良野の幾寅駅。「居酒屋兆次」は函館。他にもあるかもしれないが、高倉の建さんが北海道内で撮影した映画の雄は、「幸せの黄色いハンカチ」だろう。夕張には、いまだに黄色いハンカチがなびいているはずだ。
夕張は炭鉱町で、北海道開拓期から数十年前までは全盛だった。衰退期に入り、大規模な炭鉱事故が衰退に拍車をかけ、夕張駅に降り立つとここはいったいなんなのだろうと呆然とするほど何もない。不似合いなホテルが一軒あるだけだ。 しかし、その奥に車で少し入ると、山裾に古い街並みが連なっている。実際は空家がかなり多そうだが、昔の賑わいをしのぶ雰囲気は十分残っている。
夕張には、もう一箇所大きな炭鉱地区があったそうだ。夕張市鹿島、大夕張と呼ばれていた場所で、最盛期には1万数千人を数えたそうだ。私の故郷の街と同じである。密集度を考えるとかなり大規模な地区だったと思う。 昨年、夕張岳に登山に行く途中、途中の清水沢駅で小さなお祭りをやっていた。そこを越えてかなりいくと、国道沿いにシャッターが下りた商店街がしばらく続くところがあった。シュウパロダム作業場とかいう看板があったような気がする。 地図オタクな私には見覚えのある名前。このあたりに湖があったなと思い出した。形からいってダム湖であることは間違いない。
偶然知り合った人は、この街に住んでいた人だった。近々街は完全に水没するという。まだ完全には完成していないとのことだ。故郷が沈む。どんな感じなのだろう。正直あまり故郷に愛着を感じていない私も、いざとなると感傷に沈むことだろう。 スキー場あり、炭鉱あり、鉄道あり、商店街あり。ホームページ上に当時の大夕張を再現されている方がいる。どんな形よりも、在りし日の姿を残す素晴らしいメディアなのではと思う。 当時の小学校では、夕張岳への登山が行われていたそうだ。誰もが嫌がる学校登山。夕張岳は奥深くて、そんな学校などないと思っていたが、実際はあったのだ。
人口は飽和点に達し、人は歴史上最も溢れているはずの今、集落は人の影を消していく。山は糧を供給する場所から、糧の運びにくい不便な地となった。そういいながら、山の高山植物は衰え、山菜は古い場所から姿を消す。 歴史を考えれば、街の盛衰は必然で、木々に還ることも珍しくないのだろう。新しい価値を見出して、昔の記憶を留めてみようと思う。
湖に沈む街を抱く夕張岳の上には固有種の花々が咲き、花畑から見上げる空は限りなく青かった。白く乾いた潅木が、その鮮やかさを際立たせながら。その記憶に連なるものが一つ増えたということだ。
今日の写真(お花畑@夕張岳)
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