私季彩々
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2002年04月18日(木) 縁有りし人逝きし川 釣り初めはエゾヤマザクラ散りたる後に

 牧場のバラ線をかいくぐって、竿片手に小川に釣りに行った記憶がある。川幅数十センチという小さな川だったが、岩魚が結構釣れた。表面が乾いた牛糞を踏みつけると、中はまだまだしっかりしていて、臭い靴を牧草に拭きつけては小川を攻めた。
 私は小さかったし下手だったのだが、父は川の中の餌に魚が飛びつくのが見えるらしく、次々と釣り上げた。尊敬がだんだんと嫉妬になり、いらいらしてきた私はあまり渓流釣りには行かなくなった。

 いつしか豪快で簡単なアカハラ釣りになった。小骨が多くて食べにくいアカハラは庭の堆肥になるのがせいぜいだったが、釣り好きの大人をたぶらかしてよく出かけたものだ。
 海釣りを覚えるようになってからは、自転車で浜まで行って投げ釣りに興じた。そんなに釣れなかったけれど、仲間と行く釣りはおもしろかった。流木を熾して、持ってきた鍋で肉を焼いて食った。鍋は真っ黒焦げになって使い物にならなくなった。空はやけに青く、海は広くて、濁っていた。

 地元で初めにこの海で死んだ知人となったのは、小学校のクラスメートだった。次に中学生のクラスメートが番屋で自殺した。ニュースステーションのトップニュースで、久米宏が「北海道の過疎の町で・・・」というような事を言っていた気がする。自分の通っていた学校を背景に、口から下だけを映して声を変えて先生達を非難する匿名の生徒が誰か、知ってる人ならすぐにわかる事だとその時知った。
 それからも数年に一度、誰か彼か死んでいった。北海道南岸の太平洋はすぐに深くなっていて潮流も速く、海に入ってしまうとまず助からない。それでも川遊びで海に流される人が出てしまう。

 昨年私の「はとこ」にあたる子が、同じように流されて死んだ。小さい頃しか知らないが、とにかくはちゃめちゃに元気な暴れん坊だった。

 子供の頃戯れた風景は縁遠いものになって久しいが、一人でもう十分過ぎる大人という歳に差し掛かって、いまさら山や川がだんだんと大きなものになってくるのが不思議に思える。岩魚の住む上流から始まって友人知人親戚の眠る海に至る水の流れ。かつて私はそれを感じていた。そして私は知りたかった、そう思う。

 光る水面に釣り糸を垂れて一人を知ることはとても寂しい。私はそれが怖くて竿を放してしまった気がする。でも、それを承知で竿をだすのもいい。過去の淀みも未来のせせらぎも、その流れの中で感じる事なのでしょう。少しだけ祈りを込めて川沿いに咲く花を捧げます。
 感性が鈍ってきた事は否めない。それを知ること教わることで、孤独と関係の間を行き来できる何かをつかめるように思えます。

 あの子が死んだという話を聞いた時、私はただ「聴いた」だけだった。何故かこの朝にその事が思い出されました。ごめんね。ごめんなさい。


 縁有りし人逝きし川 釣り初めはエゾヤマザクラ散りたる後に

 入れ食いの岩魚をビクに納めつつ届けたき人なきを忘るる

 三匹の山女で竿を納めたり この春からは一人の夕餉 Home&Photo


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