私季彩々
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2002年03月29日(金) 定年

 急遽4ヶ月間眠っていた車を走らせて帰省した。国道36号線はすでに路肩にも雪は少なく、夏タイヤでも安心して走ることが出来た。3月最後の金曜日のことだ。

 父は学生服を着た18歳で役場に勤め始めた。当時の写真を見た記憶がある。それから粗末な平屋長屋の職員住宅に住み始めて、私が2歳くらいの時に家を立てた。その頃周囲には3軒しかなく、周囲数百メートルは見晴らしの利く草原だった。野いちごを詰んだり、野球をしたり、子供が遊ぶにはいい環境だった。
 親の世代がどのようなものかわからないが、真面目に勤めて帰ってからは庭仕事を楽しみ、野球を見ながらビールを飲むという典型的なサラリーマンだったように思える。公務員という事もあり、始めは給料も安くて大変な事もあったようだが、後半は大分余裕が出てきたようだった。
 趣味は釣りくらいなもので、家には本やレコードといったわかり易い好みな物もほとんどない。家にいるときは庭に手を入れて、冬場は釣竿の手入れに明け暮れていた。

 仕事のことを家に持ち込むことはほとんどなかった。親戚以外に友人が出入りする事もなかった。旅行にもほとんど出かけなかった。今年になって礼文島に行ってきたとのことだが、一泊二日の強行軍。年休もほとんど使っていないのだからゆっくりしてくればいいものを、それを出来ないのがこの世代なのだろう。

 数年前家に手を入れて、一階の段差を無くしたバリアフリー工事をした。定年後に海外移住とかいう大胆な構想を期待すべくもないが、この静かな町でゆっくりと暮らすらしい。草原だった周囲には家が立ち並び、若い夫婦と子供達の声が時折響く中、だだっ広い光景を覚えている古い人々は静かに老いていく。

 子供から見れば無趣味でライフワーク的なものがないようにみえるのだけれど、家族をしっかり支えて静かでも居心地の良い暮らしを築いてきた事は誇りでもあり十分でもあるだろう。そんな中、いい年をして結婚もせずにいる2人の子供には言いたい事もあるだろうが何も言わない。この静かな暮らしに孫の声が響けば、もう何もいらない親であることは子供達にはよくわかっているのだけれど、ごめんなさいね。

 4月中旬には珍しく九州へ旅行へ行くという。宮崎は新婚旅行で行って以来との事。
 定年という大きな節目。再就職はしないという。たくさんの時間をどう使うのか心配ではあるけれど、まぁ、なんとかなるでしょう。

 本当に長くご苦労様でした。いまだモラトリアムな子供等をもう少し見守ってください。 Home&Photo


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