私季彩々
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2002年02月10日(日) 責任を取れない仕事

 雪印食品の不祥事以来、近所のスーパーで雪印牛乳が売っていない。食品とは別会社なのだけれど、消費者には一緒ということだろう。手厳しい。

 食品の表示というものは、確かに法律はいろいろあるけれど、いくらでも改ざん可能である。特に期限や産地に関してはほとんどノーチェック。記載事項の確認しかしていないのは元保健所職員である私が知っています。細菌検査や化学物質の検査はしますけれども、たかが知れています。工場や現場の立ち入り検査などはそうそうするものではありません。それほどの職員もいないですし、大規模・高度化している現状では、ちょっと寄ってみたくらいでは何もわかりはしないのです。街の総菜屋さんから最新鋭の工場までをサポートするなどというのは、仕事の質が違いすぎます。
 むしろ精力的なのは、生協などの消費者団体で、現場から見れば事情もわからぬうるさい存在なのですが、やはりそれくらいの執拗さが必要かなと思います。役所というのは、製造者と接する機会が多く、現場レベルでは猶予する事が多くなりがちです。

 そう考えると、NPOなどが今後活躍するのはこういう分野でしょう。主婦などの方で関心の高い人が、専門知識を習得して適時立ち入るのが良いでしょう。このような検査は、専業の人がやるとどうしても”だれて”くるのです。ある意味単純ですし、安全域が大きいので多めにみてしまう事も多いのです。消費期限が一日伸びたからといってさして問題はないのです。

 製造現場であるバイトなどをした人は、期限切れを加工品に回したりすることがあったといっておりました。添加物を加えたため売れなくなったイカを加工品にするからということで流通に流した事もあります。雪印のことは許される事ではありませんが、他の多くの企業でも、大きいところから小さなところまで行われているという事を関係者なら多少は小耳に挟んでいるはずです。
 組織が大きくなったり長く続けば中だるみが生じます。専従の人間が必ずしも確実な仕事をするわけではないのです。こういう部分はむしろマニュアル人間の方が余計な気を回さない分、確実な仕事をします。

 公務的な分野にはその”中だるみ”が多分に蔓延しています。緊張を維持するのは難しいのです。業界団体の自主監視機関も不備が多いし、第三者ではないという時点で信用はありません。

 長野県知事の宣言で最も同意できた事は、”行政は何でも抱え込まない”の点。新規の保育所を作って既存の民間保育所を潰しては何にもなりません。
 保健所の職員を一時的に総動員してもほんの一瞬です。長年事務しかしていない管理職まで動員してもたかが知れています。
 私は日常的な監視業務はNPOに委託して、行政は食品衛生のプロフェッショナルを要請すべきと思うのです。行政の出先や現場の人間はすでに大幅に削減されており、対応に限界があります。何より日常の業務でその士気を維持するのはどれだけ困難な事か。

 職の形態には多々あります。職人が必要な事もあればアルバイトが適当な事もあります。給与がどうこうというわけではなくて、姿勢の違いという意味です。それは仕事が要求する姿勢に対応できるという事で、そのことが働く人の士気にも関わります。そこがマッチしなければ、正社員は漫然と既得権におぼれ、公務員は日常の業務に追われ危機を避け、アルバイトは不公平感でよそばかり見て、パートは単調な業務に緊張を失います。

 全ては適材適所の考えを忘れているから崩れるのです。そして、組織の犯した過ちは、誰も責任を取れないこともはっきりしています。末端の被害者や労働者に降りかかるのみです。
 狂牛病の酪農家はいくら泣こうが行政は責任をとりません。国が犯した戦争行為や植民地主義もどうしようもありません。責任など取れないのです。大臣の首が飛ぼうが、世間の物忘れが加速するだけに過ぎません。

 責任のとれない仕事があること。それがどれほど重要な仕事であるか。一人の人間ができることなどたかが知れているのですから。組織というのはその責任を少しづつ上に預けていることを忘れがちですし、上はその預かった責任を忘れがちです。当然社長一人で手におえるものではありません。首相が手におえるわけもないのです

 そのことは、組織に頼らずに仕事をしている人々を見ていて痛感してしまうのです。 Home&Photo


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