私季彩々
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日頃、一時間以上の徒歩と月々の山歩きをしているので、まぁ見かけよりは運動しているつもりだったのだけれど、昨日やったバトミントンは結構きつかった。後背筋から大胸筋にかけて筋肉痛です。中指の付け根も皮が向けている。いたぁい。
靴擦れも痛いけど、手のは可愛い方。かばえる分乾くのも早い。赤くなってきて、乾いてきて、つっぱってきて、自分の体が再生していくのが良くわかる。 薄皮が少しづつ盛り上がってきて、やがてわからなくなっていく。指紋のような模様まで復活するのだから、生き物の体というのは良く出来ている。
かさびたになると、直るまでもう少し。そこまで来たら、もう心との葛藤が勝負だ。「むしりたぁい」という欲求は子供の頃から衰えることなく残存。こんなところにも懐かしみを感じるなんて、もう随分歳をとってしまったなということででしょう。
バトミントンなんて数年くらいやっていなかった。むかし、廃校の小学校を借りて、そこでやった事がある。北海道の過疎の小学校は、この10年で続々と統廃合が進み、その跡を学生の合宿地として借りたのだ。何件か下見ができるほど、毎年新しい廃校が増えた。ネットを一つ張れば一杯の体育館には、必ず校歌、卒業生の絵やタイル張りの絵、バスケットのゴールがあった。 水銀灯の灯りを灯してバスケットボールをバウンドさせる。もう生徒達の集う事のない体育館の中で響くボールの音。外はすでに民家もない。
人口は現在も増えてはいるが、やがて減少に転ずる。そんなことは小学校のクラスを見ればわかる事で、ベビーブーム最後の我々の半分にまで落ち込んでいる。廃校も増えるのは当然だ。子供が減るというのはインパクトの大きい事で、地方ではコミニティの核を失う事になる。子供がらみなら、嫌でも人は集うからだ。 そんななか、市町村の人口動態予測では、ほぼ全てで人口増を前提にしている。減少を想定すると予算が減るからだ。
いくつかの廃校は、廃校の2年位前に建て直したりして、ピカピカの鉄筋つくりだったりした。利用する我々は快適だったが、校庭は雑草の原に帰り始めて久しく、大理石の碑も埋もれかけていた。 そんななか、廃校となる学校は段々と減ってきている。統廃合できるところは、ほぼ終結に向かっているらしい。そんななか、札幌中央部の小学校が、統廃合でいくつかなくなる。 子供が減れば次は老人。人口減退期に突入して、多くの集落が消えていく事だろう。 確実に社会構造が変化している事。ノスタルジーだけでは今を維持できない事。変わっていくことに怯えていることもまた確か。ただ、これから必ずおきる変化が、貧しくなる事や退化することとは限らないのも確か。ただの”変化”という未来。
廃校となった小学校に残る校歌。明治、大正、昭和初期作。地域地域の風景を唄い、その様子がまだ色濃く残っている地域ばかりだ。そしてこの校歌が出来た頃、学校は掘っ立て小屋で、開墾の音がようやく響き始めた活気に満ちた土地だったはずだ。 それ以前は、未開の原野。北海道ではそうだが、本州ではかつて誰かが捨てた村だったりもするだろう。
やがて枯れやがて萌える。それが本来の姿なのかもしれない。そういう地域に夢を追う人も確かに増えているし、潜在的に意識している人も多い。いつか、そういう中から新しい校歌を作る世代が出てきても全然不思議ではない。それが100年後だったとしても、さして先のことでもないのではなかろうか。
そんなことを、とある札幌の小学校で一汗を流しつつ考えてみたりしたのです。
途絶えたる校歌の唄う山湖に還りつつ在る雪の学び舎
廃校の体育館のバスケットボールの響き 昔から来る
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